21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

シェリフの帰還(Gideon Rachman;How the Washington blob swallowed Donald Trump)

2017年4月11日(火)10℃ 雨時々くもり 110.708 ¥/$

 

ドナルド・トランプが、とうとう従来路線を踏襲しはじめたのではという「期待感」が世の中で高まっている。

 

従来路線を支配してきた外交・安全保障分野の既存勢力エスタブリッシュメントには手放しで、これを喜ぶ動きまである。確かに、安倍首相がいち早く、シリア攻撃の支持のコメントを出すのを見ていても、ようやく、皆が慣れ親しんだアメリカが帰ってきたというような安堵感が現れているような気がする。

 

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FTのGideon Rachmanが、こういったワシントンの既存勢力の安堵感に内在するリスクについてのコラムを寄稿している。

 

内容は、それほど、目新しいというわけでもなかったが、オバマ大統領が、ワシントンの外交・安全保障分野の既存勢力、外交マフィアたちを、Blobと呼んだという件が初耳で面白かった。

 

BlobというのはDictionary.comの定義の中の、

 

“an object, especially a large one, having no distinct shape or definition“

(明確な形状や定義のない、特に大きな対象物)

 

という感じだろうか。

www.dictionary.com

 

党派性を横断して、存在する、「世界の警察官としてのアメリカがその世界におけるプレゼンスと世界秩序の維持には不可欠だ」という信念を共有する外交マフィアにとって、今回のシリアの空軍基地への攻撃は、福音のように響いたという内容のコラムだ。

 

How the Washington blob swallowed Donald Trump(ワシントンの外交既存勢力がトランプをいかに呑み込んだのか)

https://www.ft.com/content/633daa7a-1dc5-11e7-b7d3-163f5a7f229c

(以下要約)


米国が中東でミサイル攻撃をしたなどということは、普通は喜ぶべき話じゃない。しかし今回のシリアに対する巡航ミサイルによる攻撃を聞いて、ワシントンの外交エスタブリッシュメントは、安堵と喜びを隠していない。

 

リベラルな新聞のコラムニスト、タカ派の上院議員、同盟諸国の大使が一致してこの動きを歓迎した。

 

この反応は、アサド政権による市民や子供に対する化学兵器の使用に対する広範な反感を反映しているというのは事実である。

 

しかし、ワシントン挙げての、歓迎モードの決定的な理由は、この動きが、世界の警察官としての米国の復活に繋がるという期待感だ。

 

オバマ政権で、Blob(不定形の塊というような意味か)という蔑称で呼ばれたワシントンの外交や安全保障分野でのエスタブリッシュメントに属する人々は皆、米国が軍事力の使用を厭わないという姿勢が、アメリカのグローバルなポジションと世界秩序の安定にとって決定的な役割を果たすと強く信じている。

 

2013年にシリアで化学兵器が使用された時に、オバマがアメリカの最前線(Red Line)の支援に武力使用を行わなかったことによって、このBlobの中に広範な不安が生み出された。

 

さらにトランプの選挙運動時の孤立主義的レトリックは、米国の影響力の完全な放棄を意味すると考えた人々の絶望や恐怖に近いものを産み出すことになった。

 

こういった状況を踏まえて、今回の突然軍事介入は、これまでの流れに対する一大転機として賞賛されることになった。

 

一方で、トランプのナショナリズムを最も熱狂的に擁護してきた人々には驚きが走った。In Trump We Trustの著者であるアン・コルター(Ann Coulter)はその困惑を以下のようにツイートした。「なぜまたムスリムの災厄に関わるのか」

 

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トランプ外交や安全保障政策が、結局、反トランプ陣営が恐れ、彼のナショナリズムの支援者たちが望むものに比べればはるかに従来路線を踏襲したものになっていきつつあるという世間に広がりつつある感覚を今回のシリア攻撃が見事に凝縮してみせた。

 

トランプ政権の従来路線への収斂はここ数週間どんどん高まっている。彼はもっとも過激な外交上の公約が実行できなかった。イランとの核取引の破棄はなされていないし、イスラエルの米国大使館のエルサレム移転も果たされていない。トランプのEUに対する明白な敵意は、警戒しながらという前提のもとではあるが、支援へと変わった。プーチンとの男同士の首脳会談も開催されていない。

 

シリア攻撃の数日前には、大統領首席戦略官で、ホワイトハウスにおけるアメリカ第一主義(“America first” nationalism)の主唱者である、スティーブ・バノンが国家安全保障会議NSC)から排除された。

 

マイケル・フリン将軍は、バノン氏の過激な本能の多くを共有していたが、既に2月にNSCの長の座を追われている。マックマスター(HR McMaster)中将(Lieutenant General)が彼のあとを継いだ。彼はBlobから尊敬を得ている人物である。

 

NSCにおける低位のポジションへの新しい任命もよく見ると、興味深いメッセージを送っている。

 

NSCのロシア及び欧州の担当のFinona Hillは、プーチン氏に対する批判で有名であり、中道のシンクタンクであるブルッキングス研究所から引き抜かれている。

 

シリア攻撃は、米中会談中に行われた。トランプ時代の最初の米中首脳会談の結果もまた選挙運動時のレトリックに比較すれば、かなり従来路線に落ち着いた。

 

大統領選挙中、トランプは、中国がアメリカをレイプしていると批判し、中国製品に懲罰的課税をかけると威嚇していた。さらに彼は、中国のリーダーたちを御馳走でもてなす気はなく、マクドナルドに連れて行くつもりだと豪語していた。

 

実際には、トランプ氏はマーラーゴで、習近平氏を、ドーバーソールのシャンパンソース炒めでもてなした。会見後に、いつもの口調で、素晴らしい関係が構築できたと語った。

 

関税や公海上の対立についての対話は、通常の退屈なBlob流の共同対話や共同研究へのコミットメントに道を譲った。

 

中国側は、当然、この動きを好感した。しかしおそらくは少し困惑しているはずだ。ワシントンのエスタブリッシュメントの中には、シリア攻撃と米中会談の一致が北朝鮮、ロシア、中国などに対して、米国は再び軍事力の行使を辞さない元首を得たのだというメッセージを送る意味で有用であったことを期待している。

 

しかし外交の伝統主義者たちは、トランプの明らかな転換をシンプルに喜こんでばかりでもいられないはずだ。

 

シリア攻撃は、ターニングポイントとは言っても、間違った方向でのものなのだ。

 

3つのリスクが存在する。

 

第一に、トランプのアサド体制への掌返しは彼の変わりやすさの証明だ。過去1年間のシリアにたいする自分のレトリックを24時間で捨て去るのならば、次の政治的ショックに反応して、またスタンスが簡単に変わらぬ保証はない。

 

第二に、支持率に汲々としている、この大統領が、軍事攻撃が支持率に繋がると考えて、この種の行動好むようになるリスクがある。

 

しかし北朝鮮であれ、どこであれ、今後の武力行使は、シリアの空軍基地への数発の巡航ミサイルを撃ち込むよりは、はるかにリスクが高いものになる。

 

最後に、中東状況のエスカレーションの明らかな危機がある。トランプ氏がミサイル攻撃の後のステップについて考えているようには見えない。

 

これに対して、既に行った、シリアにおける軍事行動のリスクと矛盾は明らかだ。

 

今回の動きに対するロシア軍事的対応から、ISISのジハーディストの勢いが増すことまで様々である。

 

Blobの諸君は、すぐに、シャンペンを冷蔵庫にしまって、状況を注視しつづけるべきなのだ。(以上)


 

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グッドバイMrバノン!...?:ニューヨーカー(John Cassidy;STEVE BANNON IS LOSING TO THE GLOBALISTS)

2017年4月10日(月)17℃  雨のち曇り 111.264 ¥/$

トランプが現実政治の大渦の中に呑み込まれるにつれて、トランプ大統領を実現するのに最大の功のあったスティーブ・バノンとその仲間たちの影響力が急落しているようだ。

 

その象徴が、国家安全保障会議(National Security Council)からのバノン氏の退任(追放?)のニュースである。

 

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現実政治によって、トランプもかなりの部分、既存の方向性に回収されていくというシナリオは、常にメインシナリオにあった。しかしそういったメインシナリオをこれまで裏切り続けてきたのがドナルド・トランプだったのも事実だ。しかし慎重なメディアも、トランプ政権の明確な方向転換に意を強くしていきているようだ。

 

しかし習近平訪米、シリア爆撃等、バノンのシナリオと正反対の方向にトランプ政権は向かっている。その背景にある、バノン勢力の勢いの急落と、その一方での娘婿のクシュナー氏の影響力の増大について、ニューヨーカーのJohn CassidyがSTEVE BANNON IS LOSING TO THE GLOBALISTSという現状まとめのコラムを寄稿している。

 

予想できない逸脱をせず、ほどよく、既存路線にトランプ政権が回収されてくるのであれば、とりあえず、安倍晋三首相の、ギャンブルは、そこそこ上手く行ったと言えることになるのかもしれない。国内での国民を舐めるような火遊びから遠ざかるならば、安倍政権への支持率は衰えないような気がする。(安倍一強に伴う、与党議員の劣化と、官僚勢力の腐敗を是正しなければならないという国民的課題は残るのではあるが)

 

しかし、ある意味、メインシナリオ通りとはいえ、そのコアな支持層をこれほど明確に裏切ったことの政治的な反動はどのように起こってくるのだろうか。結局、トランプが、長年、有権者を騙し、裏切ってきた、共和党主流派同様、そもそもの公約の掌返しをし、トランプのアジェンダを設定してきたバノン陣営を弊履のように捨てた場合、一体、何が起こるのだろうか。

 

むしろ、トランプが既存政治の中に回収されて以降の国民の政治行動が気になって仕方がない。

 

http:// http://www.newyorker.com/news/john-cassidy/steve-bannon-is-losing-to-the-globalists

(以下要約)

 

アサド政権の化学兵器利用、北朝鮮によって繰り返されるミサイル発射、習近平の訪米等、連日新聞の一面をビッグニュースが覆ている。しかし、この政治的バブルの中で、今、最大の話題は、なぜ、スティーブ・バノンが国家安全保障会議から追い出されたかである。

 

http:// https://www.nytimes.com/2017/04/05/us/politics/national-security-council-stephen-bannon.html?_r=0

 

主流メディアの中には、マイケル・フリンに代わって、トランプの国家安全保障補佐官となったH.R.マックマスターによる組織内の大掃除とみなすものもある。

 

バノン自身は、そもそもNSCに席を置いたのは、フリンを監視するためだけだったので、追い出されたわけではないと主張している。

 

事実はそんなものじゃないはずだ。

 

ニューヨークタイムスは、バノン陣営の、最初のイニシアティブであった、入国禁止大統領令が複数の裁判所によって拒絶されるという大失敗に終わったことで、ホワイトハウス内での立場がなくなってしまったと報じている。

 

バノンはさらに大統領の経済担当大統領補佐官のゲリー・コーンとも対立している。コーン氏は、トランプの娘婿のクシュナー氏と近い。

 

クシュナーは、内々に、バノン氏が大統領の衝動を最悪の形で操ることを不安視していると、内部事情を知る者が言う。

 

ホワイトハウスのリーダーは自分だけであることを自負しているトランプ自身、バノンがマスコミで、自分を操る黒幕のように描かれるのを好まなかった。大統領のスタッフによれば、これらの報道に対して大統領が苛立ちを隠さなかったという。

 

バノン氏が政策アジェンダを設定してきたことは事実だ。しかしトランプ氏は、雑誌、深夜のトークショーツイッターでまき散らされるトランプという操り人形を操る「バノン大統領」というテーマに怒りを隠さなかった。

 

Time cover labels Bannon ‘The Great Manipulator’ | TheHill

トランプお気に入りのJared Kushnerもバノンの右派革命的言説にウンザリしており、元GSの社長のゲリー・コーンはそもそもバノンの主張に全く与していなかった。

 

トランプ大統領本人もタイム誌の2月13日付のカバーストーリー「大黒幕The Great Manipulator」というバノンの記事にとうとう我慢がならなくなったのだと。

 

バノンのNSC辞任を、個人の性格や、宮廷闘争的にのみとらえるのも事実とは違う。これは、ここ数週間、強まってきているホワイトハウスの趨勢を裏打ちしている。

 

トランプ政権のグローバル派である、クシュナーやコーンがその勢力を増し、バノンが率いるナショナリストが防戦一方となっているのである。

 

党派を問わず、ワシントンの外交筋は安堵を隠さない。ようやく通常通りの仕事が始まりそうだからである。大西洋主義、自由貿易、世界全体に対するアメリカの経済的、軍事的関与という慣れ親しんだ日常が戻ってきている。バノン氏は、これまで、これとは全く異なるビジョンを提示していた。経済ナショナリズムである。

 

反バノン陣営は、彼が、第二次世界大戦以後の国際秩序を破壊し、保護主義的、自民族中心主義の体制に変えようとしていると批判を続けてきた。曰く、米国、ロシア、そしてナショナリストがリードする欧州諸国が連合して、イスラムと戦い、力を増す中国と対決するという図柄である。

 

選挙中、政権移行中、しばしば、トランプの発言がバノン氏の方向へ向かうように思われることがあった。

 

しかし大統領就任後は、政権の動きはこれまでとは違った方向へ向かいはじめた。

 

変化の最初の兆しは2月。

 

中国が中華帝国の不可欠の一部とみなす台湾の大統領からの電話を受けるなどして、それまで、中国政府を苛立たせてきた一連の発言が一変した。

 

習近平主席との2月9日の電話会議の中で、1972年のニクソン訪中以後米政府が認めてきたOne China政策を尊重すると発言した。

 

 

www.wsj.com

娘のアラベラが中国語を学んでいる、クシュナーが重要な役割を果たしたようだ。ウォールストリートジャーナルによれば、崔天凱Cui Tiankai)駐米大使は、クシュナーの元に足繫く通っているという。その成果はこれまでのところ既に、明らかである。中国メディアも、クシュナーの重要性に注目している。

 

トランプは、NATOに対する耳障りなレトリックも抑えるようになった。1月、就任前のトランプが、ドイツの新聞に対して行ったNATOは時代遅れという発言は、トランプ政権がアメリカの孤立主義を再び目覚めさせるのではないかという不安を欧州全土に巻き起こした。

 

 

しかし、3月の初めに、ティラーソン国務長官(Rex Tillerson)は上院院内総務(Senate Majority Leader)のミッチ・マコーネル(Mitch McConnell)に対して、NATOへのモンテネグロの加入に対する、議会の批准を正式に要請した。

 

これはNATOの今後の拡大を支持するという明確な表現である。

 

数週間後、ホワイトハウスは、トランプが、メルケル独首相や他の欧州のリーダーたちとともに5月のNATOサミットへの参加することを確認した。

 

トランプのシリアへのアプローチも変化しつつあるように思われる。バノン陣営の反ユートピア的「文明の衝突」シナリオでは、シリアを過激主義イスラムに対抗する米国主導の十字軍的活動の重要な足場と捉えており、将来の米露協力の具体例となるべきものだった。

 

しかしアサド政権の化学兵器の被害を受けた子供の写真がトランプにアサド・プーチン枢軸との連携を留まらせたように思われる。水曜日の記者会見で、彼は、「シリアとアサドに対する自分の態度は極めて変わった」と発言した。

 

最も変わったのは、貿易分野である。

 

選挙運動の間中、トランプは中国に45%、メキシコに35%の関税を課するという威嚇を行った。就任初日に、彼は中国を名指しで通貨操作国と呼んだ。

 

実際には、トランプが言ったようにはならなかった。最近の動きを見ると、メキシコとの貿易戦争は開始されておらず、NAFTAへのほどほどの変更を模索しているにすぎない。トランプが「大災厄disaster」で史上最悪の貿易協定と呼んだ、あのNAFTAである。WSJの報道によると、NAFTAの条項の中で、もっとも論争を呼んでいる、争訟の処理プロセスについて、ホワイトハウスは、争点としておらず、さらには、NAFTAの交渉を外為政策や二国間貿易赤字の数値目標のような議論と切り離す方向の模様である。

 

まさにこれらの貿易関連が、バノンとコーンの対立理由の一つであった。貿易分野におけるこういった最近の動きは、コーンのみならず、同じくゴールドマンザックス出身のミニューチン財務長官(Steven Mnuchin)の考え方も反映している。

 

バノンも元ゴールドマン出身である。しかし彼は、ウォールストリートのエリート層に共通するインターナショナルで、コスモポリタンな考え方からは遠く逸脱している。

 

ホワイトハウスには、自由貿易に懐疑的な、新設の国家貿易協議会(National Trade Council)の長であるピーター・ナバロというバノンの仲間がいるにはいるが、グローバル派が経済政策を指揮しはじめているようだ。

 

金融市場は、現在の流れを以上のように結論づけている。

 

選挙後、トランプ政権の保護主義傾向と逆相関するとみなされてきたペソの価値は、急騰している。

 

唯一の謎、そして大きなサプライズの可能性に繋がるのは、やはりトランプである。

 

初めから世界に対する彼のアプローチには明らかな矛盾があった。彼のレトリックには、自国主義孤立主義保護主義を肯定する言葉が溢れていたが、彼自身は完璧なグローバル派なのである。テレビの有名人、不動産デベロッパーとしての、彼の事業は、主として世界中に自分の名前を売り込み、海外の資金を自分の米国不動産事業にひきつけることだった。海外資金の中にはその出自が疑わしいものも含まれている。

 

残る問題は、結局、どちらのトランプが勝つのかということである。ナショナリストの大衆煽動家(rabble-rouser)かグローバル資本主義の権化(Avatar)か。

 

結論を言うのは時期尚早だろう。しかしこれまでの事実を直視すると一つの方向性が見えてきており、習近平の訪米がそれを裏打ちしたかに思われる。

(以上)

 

 

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ジャーナリズム、その可能性の中心(後藤正治 「天人 深代惇郎と新聞の時代」)

2017年4月7日(金)21℃ 雨のち曇り 110.520¥/$

 

妻が心底驚いたという、私の父親の言葉がある。

 

私の母に対して言った、「産んでくれてありがとう」。

 

これは、企業人として私が成功したとか、その類の晴れがましい時ではなかったから尚更だったらしい。筋金入りの親馬鹿に妻は逆に感心すると笑った。

 

当時、私は、大企業での普通の勤め人から少々外れた生活を始めていた。もともとの仕事すら、両親がよく理解していたわけでもないから、そこからの逸脱についても、親としての漠然とした不安を除けば、さほど関心もなかったはずだ。「一家仲良く食べていけさえすればいい」というのが母親の口癖だった。

 

当時、知人に勧められて、いくつかの雑誌に文章を載せるようになっていた。

 

 私の父親は、当時は「世界」を購読しているだけで、警察から目を付けられるような時代だったとうそぶくような筋金入りの戦後派リベラリストだった。

 

再び教え子を戦争に送らないという強い情熱に支えられた地方の教師、校長というキャリアを経る中で培われた「威張る連中」に対する反骨心を、幼い私にも一切隠すことがなかった。

 

その後の進学、職業選択ということに関しては、本人の意思を尊重するという建前を貫きはしたまのの、その裏側から迸る、彼の明らかな好き嫌いがあった。父親が早くに亡くなったため、大家族の生活がすべて長男である彼の双肩にのしかかった。心の中の多くの選択肢を捨てて、彼は教員という道を選んだ。捨てたものの中に、ジャーナリズムというものへの尽きぬ憧れがあった。

 

好き嫌いの発露の仕方も、屈折していて、自分の希望を押しつけるというようなことは全くなかった。

 

ただ記憶に残っているのは、医者はどうかなという私に、露骨に嫌な顔をしたことだ。

 

当然ながら医学というものへの嫌悪を抱いていたわけではない。彼の仕事の現実が、そうさせたのだ。多くの地域で、出会った、土地の小ボスとしての医者というものとの軋轢がその背景にはあったのだろう。

当の息子の方も、さほど、やりたいことがあったわけでもなく、成り行きで大学に入り、成り行きで資本主義のど真ん中の企業へと入社した。

 

私は、時代の趨勢と平仄を合わせて、父親の担った戦後的リベラリズムから資本主義的な論理の方へと足を踏み入れた。読むものが朝日や朝日ジャーナルから日経、ニューヨークタイムスからウォールストリートジャーナルに変わっていったというような。

 

力関係の変化や、親の側の穏やかな諦めもあってか、、父子関係も、いたって普通の平穏そのものだった。

 

その後、どちらかと言えば、リベラル系の週刊誌に1年ばかり連載をすることになった。

 

第一回目が載っている雑誌を、父親に手渡した。 さほど父親に興味のあるような内容ではなかったはずだが、父親の顔がパッと輝いたのだ。

 

私の妻を驚かせた発言はこの時のものだ。

 

何も言わなかったが、「資本主義の走狗」と成り果てた息子には、若干とはいえ、忸怩たるものがあったのだろう。このバランスを失した喜びようを思い出すと、少々複雑な気持ちになる。

 

とはいえ、紆余曲折はあったけれど、父親の希望を、少しだけ叶えることができたようなのだ。元気な孫たちの成長を身近に見せられたということを除けば、これが最大の親孝行だったのだろう。戦後ジャーナリズムの中で、朝日や岩波というのはそれほど輝いていたブランドだったのだ。

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bookclub.kodansha.co.jp

 

『文章は滑らかにして自在である。難しいことをわかりやすく伝えていく。曖昧さがない。書き出しから一気に話題が転換することがしばしばあって、結語はまず予測できない。構成に定まった形というものがない。古今東西の、政治、社会、文化、歴史…への造詣と見識の深さはおのずと伝わってくるが、あくまで自分のアタマでモノを考え、言葉を紡ぎ出している。文体は抑制が利いていて、ウィットに富んでいる。そして、文の背後に、血の通った一人の人間が立っている――。』(後藤正治)

 

後藤正治が、夭逝した名コラムニストの深代惇郎について語った言葉である。

 

資本主義に頭から呑み込まれる過程で、いつしか、「事実」というものに引きずられて、「真実」というものから遠ざかっていた時期がある。しかし真実というものは、事実に、人々の心の奥底にある情念の迸りを加えることでしか明らかにならないものなのである。

 

戦後リベラリズムの黄金時代についての郷愁であり、かつ、朝日、読売、産経など当時の主要新聞社が擁した名記者、コラムニストたちの評伝であり、かつ、彼らの名文の詞華集のような「天人 深代惇郎と新聞の時代」を一気に読んだ。

 

あらゆるページに、時代の匂いと、その時々に、自分が感じた記者たちへの憧れのような気持ちが蘇ってくる。

 

深代惇郎は2年9か月という短い期間、毎日、天声人語という800字を書き続けることで、その生命のすべてを燃やし尽くした。

 

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深代惇郎の天声人語 (朝日文庫) | 深代惇郎 |本 | 通販 | Amazon



毎日何かを書き続けるということだけでも大変なことである。それを彼の水準で継続したということの壮絶さを痛感する。

 

そして天は、この天人を1975年12月17日午前3時にせっかちに回収することになる。

46歳。死因は、急性骨髄性白血病

 

『コラムニスト・深代惇郎にあった特徴のひとつは目線の低さである。権力や権威というものに伏する志向はまるでなかったし、地位や肩書きというもので人を見ることもなかった。好悪の念を表に出すこともめったになかったが、独りよがりの高慢さは嫌った。それは生来の気質であり、自身の歩みのなかで身につけていったものであろうが、下町に身を置いて過ごした歳月が自然と培ったものもあるのかもしれない。

 

 深代を言い表すものとして、リベラリストと言う言葉を使っても差支えあるまい。リベラルの原意「個人として自立した自由の民」という意においてである。それを養ったものは

<教養>と<時代>であったろうが、ここにもまた<故郷>がかかわってあるように思えるのである。』(後藤)

 

自らもリベラリストであった亡父を、あれほどに感動させたのは、この戦後リベラリズムの最良の部分を代表した、これら一団のジャーナリストたちの傍にほんの少しでも自分の息子が近づいたという想いだったのかもしれない。

 

その後、文章を私が書き続けたわけでもなく、ほんの少しだけ親孝行の真似事ができただけである。しかし、父親が亡くなって10数年経ち、父親の笑顔がなぜか鮮明によみがえってくる。

 

折しも、戦後を支えた既存ジャーナリズムが、大きな転機を迎えている今こそ、戦後ジャーナリズムというものを「可能性の中心」としてとらえ直す必要があるのかもしれない。

 

最後に、後藤さんが引用している深代惇郎天声人語の中で、どうしても転載しておきたい一文があった。深代さんが亡くなる3か月前に書いたものだ。

 

『夕焼けの美しい季節だ。先日、タクシーの中でふと空を見上げると、すばらしい夕焼けだった。丸の内の高層ビルの間に、夕日が沈もうとしていた。車の走るにつれて、見えたり隠れたりするのがくやしい。斜陽に照らされたとき、運転手の顔が一杯ひっかけたように、ほんのりと赤く染まった▼美しい夕焼け空を見るたびに、ニューヨークを思い出す。イースト川のそばに、墓地があった。ここから川越しに見るマンハッタンの夕焼けは、凄絶といえるほどの美しさだった。摩天楼の向こうに、日が沈む。赤、オレンジ、黄色などに染め上げた夕空を背景にして、摩天楼の群れがみるみる黒ずんでいく▼私を取りかこむ墓標がある。それがそのまま、天空に大きな影絵を映し出しているように思えた。ニューヨークは東京と並んで、世界でもっとも醜い大都会だろう。その摩天楼は、毎日のお愛想にいや気がさしている。踊りつかれた踊り子のように、荒れた膚をあらわにしている。だが夕焼けのひとときだけは、ニューヨークにも甘い感傷があった▼もう一つ、夕焼けのことで忘れれがたいのは、ドイツの強制収容所生活を体験した心理学者Vフランクルの本「夜と霧」(みすず書房)の一節だ。囚人たちは飢えで死ぬか、ガス室に送られて殺されるという運命を知っていた。だがそうした極限状況の中でも、美しさに感動することを忘れていない▼囚人たちが激しい労働と栄養失調で、収容所の土間に死んだように横たわっている。そのとき一人の仲間がとび込んできて、きょうの夕焼けのすばらしさをみんなに告げる。これを聞いた囚人たちはよろよろと立ち上がり、外に出る。向こうには「暗く燃え挙げる美しい雲」がある▼みんなは黙って、ただ空をながめる。息も絶え絶えといった状態にありながら、みんなが感動する。数分の沈黙のあと、だれかが他の人に「世界って、どうしてこうきれいなんだろう」と語り掛けるという光景が描かれている。』(1975(昭和50)年9月16日)