波乱万丈 Redditの歴史 その3;列車の中で受け取ったOK
ポッドキャスト黄金時代の先駆けともいえる、大人気ポッドキャストのSerialブームの裏の立役者とも言うべき、米国の2チャンネルRedditはどうやって誕生したのか。
Mashableの記事はゆっくり読んでいくと、実際、今のアメリカのWeb 2.0(古臭い言葉になったのかしれないが)市場というものの全体像が見えてくるような気がする。
ついでに、机の上に積んであったRandall StrossのThe Launch Padも読み始めた。Y Combinatorのことを取り上げたポップジャーナリズム。
前置きはさておき、今回は、バージニア大学の寮で知り合ったSteveとAlexisが伝説のテクノロジストPaul Grahamに会いにマサチューセッツ行の長距離列車で行ったり来たりする話から始まる。
2005年4月、東海岸へゆっくりと向かう列車の中で、Steve HuffmanとAlexis Ohanianは二日酔い状態で、昨日のショックから立ち直れていなかった。
この二人は、バージニア大学の同級生、一緒に起業するのを夢見ていた。
前の日に、有望なはずの未来が簡単に否定されてしまったのである。彼らのアイディアは、産声を上げたばかりの、インキュベーション会社Y Combinatorから強烈なダメ出しを食らったのだ。
それもあって、前の晩、マルガリータとDos Equisビールでヤケ酒。
そんな冴えない二人だった。
「なんで、そんなアイディアは知ってるよと、ダメ出しされるだけなら、こんな高い汽車賃払って、遠くまで来る必要などのあったのか。」と何度も、自問していたことをSteveはよく覚えている。
その数週間前、SteveとAlexisは4年生の春休みを使って、バージニア州のシャーロットビルからマサチューセッツ州ケンブリッジまで旅行をした。目的は影響力のある起業家でエッセイストのPaul Grahamの、「どうやって起業するか」How to Start a Startup
という講演を聞くことだった。
講演後、Paulに、自分たちが起業を考えていて、はるばるバージニアからやってきたことを話した。長い距離というだけでも、説得力があったのか、Paulはその夜、地元のカフェで、三人だけで話をしようと言ってくれた。
「さあ始めよう」コーヒーを片手にPaulは言った。
二人はPaulに対して、自分たちが考えている「ユーザーが携帯を使って事前にレストランの注文ができるモバイルアプリ」を説明した。Paulはこのアイディアを気に入ったようだった。自分が始めたばかりの新しいインキュベーションプログラムであるY Combinatorに正式に提案することを二人に勧めた。
これで決まりだと二人は思い込んでしまった。
ところが、意に反して、二度目の旅行も結局、さほどの進歩もなく、ただフラストレーションだけが蓄積することになった。
Steveは、卒業前の最終プロジェクトである学生用の受講科目選択ウェブアプリの開発を行う合間、進展しない状況に関して喚き散らすという生活を続けていた。
Alexisは、ドレスデン爆撃についての論文を書く合間に、Steveを宥める努力をしていた。
Alexisはどんな時でもポジティブで、こういった拒絶を、起業への覚悟を鍛えるための良い試練と前向きにとらえようとした。
Steveが父親の影響でプログラミングを始めたのは8歳の頃。
彼の父は、GMのエンジニアだった。両親はその後離婚したが、ともに、Steveのプログラミングに対する情熱を育てるため、協力を惜しまなかった。彼の部屋にはいつもコンピューターが置かれていた。
それ以外にも、父親は、将来自分が独立してやりたいと思っている事業の夢を息子に良く語ったという。
ゴーカートリンク、ミニゴルフ場、バー。
結局、父親はエンジニアという仕事を辞めることはなかったが、Steveに起業への夢を植えつけることになった。
バージニア大学の1年生の時に、SteveはAlexisの寮のルームメートとして出会った。
Alexisは一人っ子で、両親との結びつきは強かった。
ティーンエージャーの頃から,活発な少年だったAlexisは、ソフトウェアの店頭でのデモ販売などでコミュニケーション能力を高めた。大学に入る頃には、持ち前の激しい競争心も顔をのぞかせるようになっていた。
背丈も性格も違うが、彼ら二人は、互いを完璧に補完しあう仲だった。
Steveは内向的で、気分屋で、友人はHuffmanの不機嫌と呼んだ。
しかし自分の作る製品に対するはっきりとしたビジョンを持つテクノロジーの天才だった。
Alexisはプログラミングをしなかった。しかし彼は野心的で、デザインに対する感覚があり、弁護士、メディア、大企業と話すのが苦にならない一流のプロモーターだった。
さらに大事なことは、彼は、物事がうまく行かないときでもほぼ冷静にいられるのだった。
Y Combinatorの方は、この二人のアイディアは全く気に入っていなかった。モバイルアプリを作りたがっているが、当時2005年といえば、アップストアもなかったし、対象顧客として考えている食品関連業界との関係など一切持っていない二人には、ハードルの高いアイディアだった。
その後、Y Combinatorの出資の特徴になっていく点なのだが、アイディアはダメでも、創業者の人間を見るという視点が彼らにはあった。
共同創業者のJessica Livingstonは、遠距離にもかかわらずやってくる二人の起業への覚悟の強さが気にいった。若干は母性本能もくすぐられたのか、最悪のアイディアだったが、この二人を近くにおいておきたくなったと告白する。Jessicaは愛情をこめてこの二人をMuffins(可愛い子ちゃん)と呼ぶようになった。
こんな感じで、二人はバージニアへ向かう列車の中で二日酔いというはめに陥ったのである。
ところが、その時、Alexisの携帯がなった。Paulからの電話だった。
今のアイディアをさっさと捨てて、いますぐボストンに戻ってきて、自分たちと何か違うことを始めないか。
急いで二人は下車し、北へ向かう列車を待つことになった。
JessicaがEメールを立ち上げると、Paulから二人の件で新しいメッセージが届いていた。タイトルを見ただけで、Muffinsが救われたということがわかった。
(その3 終)