映画:「アデル、ブルーは熱い色」
映画における特異な性描写を続けざまに二度見ることになった。
一つ目は、コトバの欠落した中で、機械と機械が摩擦音を落とすような若者の性交を描いた「The Tribe」
エロスというようところからはほど遠い無機的な軋みが発散していた。
二つ目は、ポルノ映画以外では、めったに見られないような濃厚で、人間の体臭が匂いたつような映像。カンヌの第66回パルムドールを監督、主演女優二人が受賞した
「アデル ブルーは熱い色」のレズビアン同士の肉感的なラブシーン。
どちらも、特異という言葉がぴったりの状況だ。
スクリーンを眺める視線以外は、女優二人、アデル・エグザルコプロスとレア・セドゥーのラブシーンに男の介在する余地はない。
しかし男たちの視線は、それに釘付けになってしまう。
パルムドール受賞にはこの激しいベッドシーンの影響が大きかったのは事実かもしれない。
しかし、その部分をトーンダウンしたとしても、一切、その価値が落ちることのない素晴らしさが存在している。
二人の女優はともに魅力的だ。知性と少々上の階層に位置するエンマを演じるレア・セドゥーの存在の洒脱さと、野生の少女アデルの圧倒的な存在感。
これはアデルという若い女の素の日常についてのドキュメンタリーにも見える。そして、髪、肌、食事をする口、エンマの指を舐める舌、友人の攻撃に対抗するときの興奮に赤くなる頬。そのディテールに最大の魅力がある。
スクリーンの前で、男たちは、予め居場所を許されない傍観者として、展開する生命の横溢を茫然と眺めるしかないのだ。
少女が女と出会い、別れることによって大人へと変わっていく過程を痛みをもって描いた青春、恋愛映画の傑作だ。