21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

惑星の時間:父への弔辞

今週、映画Beautiful Mindなどで一般にも有名になった(映画化されなくても、有名ともいえるが)John Nashが86歳で亡くなった。交通事故で、夫妻ともにこの世を去った。

 

http://www.nytimes.com/2015/05/25/science/john-nash-a-beautiful-mind-subject-and-nobel-winner-dies-at-86.html

 

こんな時には、必ず、ニューヨークタイムスのObituary(追悼記事)を読むことにしている。

 

人間の人生というものは、生きている間は、輪郭の曖昧なぼんやりとしたものである。

 

その人間が死ぬときに、他人の眼に映る、その人の人生は強制終了され、一度に輪郭が明らかになる。

 

誰もが、Obituaryを書かれるという特権を持つわけではない。

 

随分、昔、ニューヨークタイムスで「死神の素顔」という、Obituary Writerについての洒落たコラムを読んだことがある。とても印象的だったので、細かいところまでよく覚えている。

 

大女優のベティ・ディビスのインタビューに新聞記者が自宅を訪問した。新しく出演する映画のインタビューで、昼食を兼ねての取材だった。

 

http://image.eiga.k-img.com/images/person/65090/300x.jpg

 

長時間のインタビューにディビスは丁寧にこたえ、ランチは延々とアフターヌーンティーの時間まで続いた。

 

突然、ベティ・ディビスが言った。

 

「ちょっと質問していいかしら、今回の映画にはあまり関係のない質問が多かったような気がするんだけど。」

 

記者は、完璧主義すぎて、良く文句を言われるんですよとのらりくらり答えていたが、大女優は執拗だった。

 

「ねえ。私のObituaryの取材なんでしょう?」

 

 

記者は白状した。すると女優はキッチンの方へ姿を消し、マティーニのシェーカーを片手に颯爽と戻ってきた。

 

「お茶なんか飲んでる場合じゃないわよね!」

 

準備万端のObituaryというのは形容矛盾だ。しかし、New York Timesの良くできたObituaryを読むたびに、不思議に感じることが多い。その意味では、不思議などなく、やはり準備万端、取材されているわけなのだ。

 

Obituaryの対象となる有名人ほど、自分の人生を正確に記憶されたいという意識が強いのかもしれない。特に評伝文学が確固とした居場所を占めている欧米で、Obituaryが充実するのは当たり前かもしれない。適切な言葉かどうか、定かではないが、魚心あれば水心なんだろう。

 

10年前に死んだ僕の父は、Obituary記事が書かれるような有名人ではなかった。普通の人間を送るのは、葬儀における友人の弔辞である。様々な人の葬儀に出ているわけではないので、優れた弔辞というものに何度も、出会っているわけではないが、参列者を感動させるものが存在するのも事実だ。

 

有名なものとしては、タモリが恩人赤塚不二夫の葬儀で、原稿なしで読み切った、「私はあなたの作品です」という弔辞がある。そこには、素人だったタモリの才能を見出して、育てた赤塚に対する感謝の念と、自らの矜持がまじりあって感動的だった記憶がある。

 

 

父の遺言で、密葬にした。

 

密葬というのは具体的には葬儀公告を新聞に出さず、終了後に挨拶公告を出すということだ。

 

当日、密葬のわりには、元同僚、部下などを中心に多くの人が参列してくれた。

 

同じ本好きとして、比較的長い対話の歴史のある親子だったし、最後の数年は、母親の病気もあって、喪の仕事を共同で行ってきたようなところがあるので、葬儀の際には、なんとなく、そんな父親にふさわしい挨拶をしなければならないと考えていた。

 

棺の中には、星の王子様、隠者の黄昏、ルバイヤートの三冊を入れたこと。

 

Amazon.co.jp: 隠者の夕暮・シュタンツだより (岩波文庫): ペスタロッチー, 長田 新: 本

 

http://ecx.images-amazon.com/images/I/71FKFqKA1jL.jpg

 

なくなる直前まで本屋に通うのを楽しみにしていたこと、葬儀に出発する直前にも、行きつけの書店から注文の書籍が届いたという電話があったこと等々。

 

そのうち、大事なことに気がついた。

 

葬儀の弔辞と喪主の挨拶は違ったものだという常識だ。

 

長男の僕は、当然ながら、喪主であり、喪主には喪主なりの挨拶があるということ。父親の突然の死に動揺して、こんな常識すら忘れていたのだ。

 

ぼくはまるで友人代表のような文面を考えていた。

 

スピーチの中で引用しようと思っていたオマル・ハイヤームの詩の一節は、こっそりと喪服のポケットにしまった。

 

僕はきわめて常識的な挨拶で父親の葬儀をしめくくった。

 

父が、死ぬ直前まで、気にしていた、病気の母も、数年前に他界した。

 

いまだに、どこかで父親が、ウィスキー片手に、お前の弔辞を聴きたかったなと笑っているような気がしてならない。

 

最大の親友でもあった父親への弔辞はいまだに読むことができずにいる。