大統領の知的資本(トランプのアメリカ)大嶽秀夫 「ニクソンとキッシンジャー」
2017年2月13日(月)11℃ 晴れのちくもり
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安倍訪米も、不安視された大きなサプライズもなく終了した。アジアに関するトランプの出方を世界が注視していた。
日米会談以前に、中国との電話会談を行うなど、きちっとそのあたりの均衡は踏まえている。トランプが本当にニクソン大統領に学んでいるとすれば、彼の予測不能性の一部は解消されることになるかもしれない。長年のカウボーイ外交(単独主義)からレアルポリティークへの移行は、圧倒的な中核であったアメリカというもののポジションの弱まりに対する彼の自覚を前提とすれば、自然な動きかもしれない。ただ、ニクソン・キッシンジャー路線のもう一つの顔である、秘密交渉、裏交渉の多用を学ぶのであれば、日本の外交は、一段の知的進化を遂げる必要がある。ニクソン・周恩来の秘密交渉を全く見抜けなかった日本外交の轍を踏まないためにも、日本の外交は、質量ともに知的進化を遂げる必要があるはずだ。
トランプは乱暴な試行錯誤を繰り返しながら、急速に学習をしている。試行錯誤の結果に対する非難に耳を貸さないというトランプ流儀は今のところ徹底されている。
政治学者の大嶽秀夫さんの「ニクソンとキッシンジャー」の中に、指導者の知的蓄積に関するこんな引用がある。
『1960年の大統領選挙でジョン・F・ケネディに僅差で敗退したあと、ニクソンは八年間の在野生活を強いられた。それについて、ニクソンはこの「『野に下っていた日々』は私にとって学習と成長の日々であった」と記している。キッシンジャーも次のように述べている。「指導者が経験を積むうちに、深みを増すと考えるのは幻想である。(中略)指導者が高い地位につく前に得た確信というのは、知的な資本であり、その地位にとどまる間この指導者は、この資本を消費することになる。指導者となれば沈思塾考している暇はほとんどない。彼は、重要なことより、緊急なことが絶えず優位にたつ、果てしない闘いに巻き込まれる」「私は大統領補佐官の地位についたとき、20年間にわたる歴史の勉強から得た哲学をもっていた」。キッシンジャーが自らについて述べたこの指摘は、そのままニクソンにあてはまる。』
「指導者が経験を積むうちに、深みを増すと考えるのは幻想である」という一国の宰相経験者の言葉は重い。
トランプの実業経験による挫折の経験は、今後の国際政治の中での彼のリーダーシップをどの程度まで支えることができるのだろうか。ある意味、小説を書くことであれ、政治を行うことであれ、すべての知的営為の根幹にあるのは「アウトプットを決定するのはインプットの量である」という原理である。トランプ及びそれを支えるスタッフを通じて、どれほど、この試行錯誤による学習の効能が維持できるのか。それが真の問題なのだ。
トランプはマスメディアとの蜜月を自ら拒否した感がある。しかし本当の蜜月は、マスコミだけではなく、既存の官僚層、司法等、すべての国家システムとの間に存在している。既存国家システムとトランプの荒々しい試行錯誤の間の、冷たい蜜月はいつまで保つことができるのだろうか。