21世紀ラジオ (Radio@21)

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「日本語を作った男;上田万年とその時代」


日本が近代国家の道を急いでいた明治時代。近代国家の土台として国語の構築が目指されていた。その中心を走っていた上田万年という人を中心として、日本語が出来上がってくる原過程を描いた「日本語を作った男」を読んだ。

 

日本語を作った男 上田万年とその時代

僕たちが今使っている日本語を形成する過程で、江戸と明治という時代の想いがぶつかりあう様が面白く描かれていた。

 

なかでも、言文一致と言えば、最初に名前が浮かぶ二葉亭四迷が、新しい言葉を探す中で、坪内逍遥のすすめで、名人三遊亭円朝の牡丹灯籠の速記本を参考にしたという件、というよりは、この本の中で引用されていた円朝の語り自体がとても魅力的だった。

 

「団扇を片手に蚊を払いながら冴え渡る十三日の月を眺めて居ますとカラコンコンと珍しく駒下駄の音をさせて生垣の外を通るものがあるから不図(ふッ)と見れば、先へ立ったのは年ごろ三十位の大丸髷の人柄のよい年増にて其頃流行(はやった)た縮緬細工の牡丹芍薬などの花の附いた灯籠を提げ其後から十七八とも思われる娘が髪は文金の高髷(たかまげ)に結い着物は秋草色染めの振袖に緋縮緬長襦袢

 

こういった語りを残すために速記という仕組もゼロから作り上げられたということに明治という時代を感じた。

 

漢字圏の国として、中華文明圏から抜け出て、西洋文明圏からの脅威に対抗しようとしていた時代の物語である。

 

 

 


三遊亭円朝 作,「牡丹灯籠(フル)」,生声朗読 1

 

 

老いること、死んでいくということ

2019年8月13日(火)

 

それなりに長く生きてくると、周りの人を送る、送らねばならないことが多くなる。

だからといって人が死んでいくということの意味がわかるわけでもなく、その有様を否が応でも目撃しなければならなくなるだけとも言える。

家族や知人が衰えて行くということを実感として観察しながら、人はなぜ生まれ、なぜ死んでいくのか、そして、自分はなぜ生まれ、どう死んでいくのかということを自省することになるのだ。

 

自分の起源も終焉も自分とは無縁であるということが人間の実存の特徴である。

自分が生まれることは自分には一切かかわりのないことであり、自分が死ぬということを自分の眼で確認できるわけでもない。

原理的に自分の生き死はわからない。

ただ自分以外の人間の肉体が亡びていくことだけは実感を持って体験することができる。他人の死というものが、自分の死というものとどうつながっているのかということに対する解を求めるのも原理的に難しいことは前提だが。

そういう諦念と呼ぶ方がふさわしいような不全観の中で、ぼくたちは他人の肉体が次第に滅びていくのを見つめることになる。

 

親や自分の係累の死を見つめるということは、そういうことなのだ。


魚川祐司さんの言葉を借りれば、「無限を思いながら有限を生きる」ことが凝縮的に現れる瞬間なのだろう。

感じて、ゆるす仏教



僕の親が死ぬとき、僕の子供たちはまだ幼かった。そして、彼らにとって、人が死ぬということへの初めての経験となった。

他人が死ぬということを直視するということが、実存における成熟というものにとって不可欠だとするならば、老人は、若者に対して、死生観そしてそれぞれの実存の兆しのようなものを教えるために死んでいくのかもしれない。

だから、近年における逸脱を別にすれば、人類は長年にわたって老いていくことを、荘厳なものとしてとらえてきたのだろう。

形のある世界から形のない世界へと移行していく姿を見せること、それが老いていくということなのだ。自分の老いというものを考える時にいつもこんなことを思っている。

映画「Wind River」近年稀な傑作!

2019年8月12日(月)

40年近く前のある酷暑の夏に、僕は、「八甲田山」という映画を観た。明治の陸軍の雪中行軍訓練で大部隊が豪雪の八甲田山で全滅するという悲劇を扱った、傑作映画である。

 

僕は、涼を求めてという、かなり不純な理由で、映画館に入った。強い冷房の中で、僕は、雪の中の悲劇を堪能した。

 

今年も酷暑で、まさに行き場がなくなった。

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昨日は、冷房を強くして家で、アメリカ映画「Wind River」を見た。公開時には映画館で見て、その後、もう何度目だろう。

 

涼を取るというには申し訳ないくらいの傑作である。

 


7/27(金)公開 映画『ウインド・リバー』

 

ネイティブインディアン居留区では若い女性の失踪、誘拐等正式の操作がなされない犯罪が無数にあるという事実を背景にしている。しかし社会派映画ではない。多くの西部劇、探偵映画の名作に直接つながる傑作だ。心の奥底まで冷気が行き渡るようだ。

 

舞台は真冬のワイオミング州のウィンドリバー居留地である。

若いネイティブアメリカンの女性が雪原で遺体で発見される。頭部に傷があり、性的暴行の痕跡もある。ラスベガスからFBIの女性警官が送られてくる。彼女は長い距離を逃げ、最後に力尽き、直接の死因は凍死と診断される。この状況では本格的捜査は続けられない。Elizabeth Olsenの演じる若い警官は、自らの意志で殺人操作を続けることを決意する。

 

そしてJeremy Renner演じる、自らも娘を同様な事件で失った過去のある野生動物のハンターに協力を依頼する。被害者の父親は、ハンターの友人だ。コマンチ族出身の俳優Gil Birminghamの娘の死を全身で痛む演技は鮮烈である。ハンターは友人から、法が裁かないとしても、加害者に報いを与えることを約束する。

 

野生の動物の足跡を追うように犯行の痕跡を探り続ける、その過程が素晴らしく魅力的である。

 

気丈さと心の弱さの間を触れる警官役を演じるElizabeth Olsenは魅力的だ。それを一定の距離を置いて支えるJeremy Rennerの演技も見事である。しかし何よりも、全身で娘の死を悼むネイティブアメリカンの父親を演じたGil Birminghamの存在感が圧倒的だった。




Elizabeth Olsen And Jeremy Renner Discuss The Film "Wind River"

徹頭徹尾、極寒の白い風景が展開する、Wind Riverは、いずれにせよ、近年稀に見る傑作だった。


八甲田山より<雪の進軍>