podcastの時間:ポッドキャストのアナログなアウラ
NHK ラジオ深夜便で、三田完というNHK出身の小説家のインタビューを聴いた。
亡くなった小沢昭一のラジオ番組の脚本なども書いていた人らしい。
昔の音楽番組作りの話をノイズだらけのSONYの携帯ラジオで聴いた。
これはテレビの音声が聞けるラジオ(だった)。
今は、当然、そのチャネルに合わせると、無機質なノイズが流れている。
このノイズは優しくはない。テレビが音声が聴こえなくなってから、数か月は、このチャネルに合わせたものだ。幽霊でもいいから、懐かしい人に会いたいというような気持に似ていた。
ラジオを消して、スマートフォンでRadiolabのPlaceboという番組を聴き始めた。
アメリカのパブリックラジオの伝統の、ナレーションと、地の声が重なるフォーマットが好きだ。
昔、海外出張が多かった頃は、時差ボケで深夜に目覚めて、必死で、音楽以外で、穏やかな声のする番組を探したものだ。そんな時に、見つけると、ホッとしたタイプの番組と言えばいいだろうか。
配信するテクノロジーは変わっているけれども、リスナーを包んでいく、ナレーターの肉声と、地の声の重なりあうラジオ番組は、懐かしいアウラを纏っている。
複製技術の極点ともいえるスマートフォンから聴こえるデジタルサウンドが纏う一回きりのアウラ。
その奇妙さにぴったりするのはノスタルジアという言葉だけだ。
最先端のテクノロジーの伝えるノスタルジア。
リニアに進化するのはテクノロジーだけだ。
人間の社会、とりわけ人間の心というものは、複雑系というよりは、円環を描きながら少しずつ横にずれるという軌跡をたどっているような気がする。