日本代表 ウズベキスタンを一蹴;バーチャルスポーツバー状態のすすめ
大好きなスポーツライターのSimon KuperがFTにこんなコラムを書いている。
(読み始めた途端、テレビで日本代表のウズベキスタン戦が始まっちまった。)
http://www.ft.com/intl/cms/s/0/a7c9df4e-d333-11e4-9b0a-00144feab7de.html#axzz3VjaJJ43Z
欧州のサッカーファンにとっては、シーズンチケットを持って、スタジアムに訪れるのが本当のファンの醍醐味だ。
ただソーシャルメディアの発達によって、テレビ観戦をするサッカーファンのコミュニティも馬鹿にできない規模に達している。こんなに熱い観戦環境はほかにはない。
(たしかに僕もFacebookの高校の同窓生のコミュニティで、今日のウズベキスタン戦を観戦している。友人たちは、日本全国に散らばっているし、アメリカの東海岸、西海岸からも参戦でバーチャルパブ状態だし、それがとても楽しい。)
2012年にスポーツの生中継はテレビ番組の1.3%に過ぎなかったが、実にテレビ関連のツイートの41%を占めていたらしい。スポーツライブとソーシャルメディアの相性は抜群だ。
テレビ観戦の人気の高まりは何を示すのか。西欧近代がピークに達する過程で、個人主義も徹底されたと文明論的切り口でKuperは語りだす。いわく、その結果としての無限の遠心的個人性が、人々の孤独や社会的繋がりの欠落を露わにすると。実際、ソーシャルメディアによって補完されたテレビ観戦だけが、唯一のコミュニティという人も多い。教会、労働組合、政党など人々を繋げる中間団体が軒並み資本の運動の過程で根扱ぎにされてしまったからだと。
近代資本主義の中で孤立する個人の唯一の拠り所となった観のあるテレビ観戦だが、昔のように、同じ番組を見て、翌日、皆が職場や学校でそれを話題にするという時代も、Netflix、YouTubeなどインターネット配信の中で消えつつある今、サッカー観戦というものが特権的空間になったというのが彼の見立て。
その中で、国民を糾合する唯一の番組がサッカーのビッグマッチだと。
(ハリルホジッチ率いる日本代表が難敵ウズベキスタンを5対1で一蹴するのをフェイスブックで大騒ぎしながら見ていたら)
そのもっとも極端な例が、まさに日本代表を率いるハリルホジッチの采配のもとで、ドイツを最後まで苦しめたアルジェリアとのワールドカップでのゲームだったとKuperは話をすすめる。
いわく、あの試合を3500万人のドイツ人がテレビ観戦し、1000万人がパブリックビューィングで一喜一憂したというのだ。おそらく、これはドイツ史上もっとも国民が共有したイベントのはずだ。
Kuperは、結論として、これほど大事なテレビ観戦なのに、放映権の高騰の結果、お金のない人には手の届かないものになりつつあるという現状を嘆いている。
日本も欧州ほどではないにせよ、いつのまにか地上波テレビだけでは、欧州リーグは当然、Jリーグ観戦さえままならなくなっている。Jリーグ人気が今一つの時に、これは大丈夫なのかと思ってしまうところもあるのだが。
ここで書きたかったのは、ハリルホジッチのもとで、ロシアW杯へ向かう日本代表をソーシャルメディアを駆使して、バーチャルスポーツパブ状態で観戦するのは本当に楽しいということだったのだ。
これはインターネットが作り出した、一種の新しい繋がりであることだけは間違いない。
(この後始まるオリンピックアジア予選見ようかどうか悩み始めている僕)