二週間後僕はブレードランナーのことを考えている
地震から2週間。たったの2週間とは到底思えない。通常は仕事にかまけて、忘れていても過ぎていくパーソナルな時間がとても濃密だった。
自分、家族、友人のサバイバルということを常に意識の片隅に置いて生きるというさほど慣れていないことを続けているせいか、身体の一部のどこかが常に醒めていている。そのためか、身体の中に二重の疲労感がある。
ぼくたちは久しぶりに、バーチャルな世界から放り出され、リアルな生死というものを意識して生きている。
2週間後、ぼくも東京も、Falloutの不安の中で、今のところは生き延びている。テレビやラジオにも普通の番組や音楽が戻りはじめ、テレビでは政治家や評論家が復興の激論をおずおずと開始した。誰もが新しいPolitical correctnessをはかりかねて、手探りだ。
記号消費が突然消滅した消費資本主義の首都東京には、公共広告機構という、かつて、気に止めたこともない団体の流す、子宮頸がんの予防のメッセージが繰り返し流し続けられている。
唐突にリドリー・スコットのブレードランナーという映画の中の近未来のロサンジェルスのデジタルサイネージ(電子看板)が繰り返す、奇妙なわかもとの宣伝を思い出した。
外国人から見た日本女性のイメージが、微笑みながら、わかもとの宣伝を繰り返す奇妙な光景が、無意味さになれてしまった荒廃を見事に表象していた。
酸性雨の降り注ぐ街。
意味不明なメッセージが繰り返され、それが繰り返されることで、ぼくたちの抱え込んでいる荒廃がさらに露呈していく。
おそらく今後メディアや映画や小説の中で、Falloutのイメージが増殖することになる。
Cormac McCarthyのロードのような少し時代物の廃墟のイメージではなく、伊藤計劃の虐殺器官やハーモニーのような大災厄から復活した後のデジタルで安定した荒廃の風景。
フィリップKディックや伊藤計劃の驚くほどの予知(Prescience)。
今回の津波や、地震やFalloutは、現実がフィクションを模倣しているような既視感に満ちていた。
ともあれ大災厄から2週間がたった。
驚くのは、なにごとも変わりはしないという、うんざりとするような日常に代表される戦後日本が、跡形もなく崩れ去ってしまったことである。
変わるはずもないという「永遠の昨日」へのうんざりとした想いや皆同じという幻想は、一撃のもとに洗い流され、自己決定と格差という現実が、当然のような顔をしてぼくたちの前に居座っている。
そして、ぼくは、ビル・エバンスのWaltz For Debbyを流しながら、化学の教科書を読んでいる。
それが2週間後のぼくの日常だ。