21世紀ラジオ (Radio@21)

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ユーロという十字架

ギリシアのデフォルト危機を見ていて、過去の金本位制や、「男子の本懐」で城山三郎が描いた金解禁のことが、若干、同時代的リアリティをもって迫ってきた。

発展段階で、先進国からの外部借入に依存している途上国に対して、貸し手側の先進国は、借り手に対して一定の財政規律を課そうとする。その目的のために自国通貨を一定比率で金価格に連動させることで、途上国の財政政策に規律を与えるという金本位制が機能していた。

当時、西側の金融資本からの信認を必要と感じていた井上蔵相は、世界が不況に陥る中で、自国経済に致命的な打撃を与える可能性のある、金本位制への復帰と、それに伴なう緊縮政策を断行した。

しかし、この政策は、その時点では日本の脆弱な経済に大きなデフレ効果を及ぼすことになった。

ユーロという単一通貨も、欧州16カ国では、同様な効果があるのだろう。金本位制との経済学的違いについてはよくわからないが、いずれにせよ、ギリシアのような周縁国家は、ドイツに代表されるユーロの金持ち国家からの支援を受けるために、一定の財政規律に服する必要がある。加盟国が他の加盟国の外部負債を保証するというような明示的な取り決めはないのかもしれないが、世界の金融市場は、ユーロゾーンの加盟国のシステムを維持することへの暗黙のコミットメントを担保として、これらの国々への融資を行ってきたのだろう。

金本位制時代との違いは、加盟国が自国通貨というものを持たないので、金本位制から離脱して、自国通貨の切り下げによって、致命的なデフレ効果を逃れるという手段を持たないことである。

出口がメカニズムを持たないため、引き続き、市場は加盟国、とりわけドイツによる支援を引き続き信頼しているということになるのだろう。

金本位制という過去を理解するためには、今を直視するのが一番だ。さらに金本位制という過去を見つめることで、ユーロゾーンの混迷の先にあるものが理解できるのかもしれない。

クルーグマンは、ギリシア危機の本質は、ギリシアの浪費にあるのではなく、ユーロ諸国の政治的エリートの傲慢さにあると切り捨てていた。すなわち、政治的統合も果たしていない16カ国に統一通貨を導入することが可能だと考える傲慢さ。すなわち、ユーロというメカニズム事態にかなりの欠陥があるという指摘である。

いずれにせよ、過去と未来がリアルに交差するところに、このギリシア危機が存在している。