21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

習慣性の強さともろさ

地下鉄に乗ったら、かなりすいていたので、思い切り、キオスクで買ったヘラルド・トリビューンを両手で広げて、一度に何が書いてあるか、チェックするために、ページを繰った。

これが総覧性だ。技術的には、この総覧性は乗り越えられるはずだ。でもビジネス的には、この習慣性が敵になる。サービスや、製品が導入された初期には、特にその影響が深刻になるはずだ。

でも、習慣性は別の習慣性に乗り越えられていく。一世を風靡したブラックベリーも、どこかで、タッチスクリーン型のスマートフォンに乗り越えられていくのだろう。でも、ここしばらくは、慣れ親しんだ入力方式の故に、そのサービスから乗り換えをしない固定客層というのは残っていく。

でも、それも慣れの問題だ。

去年の忘年会で、海外拠点の会社に務めている同僚が、楽しそうに、iPhoneをぼくに見せ、見ろよ、びっくりするぞとせかせた。

iPhoneのスクリーンには、懐かしいHP18Cが表示されている。

HP18C というのは金融機関で資金調達に関わった人間なら、昔は、誰もが使っていた端末だった。入力の仕方が特殊だったが、債券利回り計算、IRI計算には不可欠の計算機だった。

ぼくの時代は、PCがそんなに普及していなかったので、今のようにPCでスプレッドシートで、簡単にという時代でもなく、業務用の不可欠の計算機だったのだ。

今でも、多分、現場ではそこそこ利用されているはずだ。

使い勝手というのは、それほどまでに、粘着性が高いのだ。

しかし、それでさえ、iPhoneのタッチスクリーン上で、バーチャルに再現されうるというのげデジタル時代の現実なのかもしれない。

だからこそ、今は、総覧性は新聞紙とかいっていても、何代目かのバージョンのキンドルか、その他のEブック端末を、数年後にはぼくも使っているんだろう。

その頃の忘年会では、参加者も皆、引退した年寄りばかりになって、「ほら見ろよ、まるで新聞紙と同じような感触だろう」と、嬉しそうに折り曲げ可能な液晶端末を触ってるのかもしれない。