21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

「ハルキ・ムラカミと言葉の音楽」を読んでいる

1Q84を読んだからというのでもないのだが、村上春樹に関係した本や、村上春樹の昔の本を読みなおすようになった。

村上春樹の文体というのは魔力のようなものがあって、読んでいるうちに、文体が憑依してきて、彼の文体に乗っかって、何かを表現したくなってしまう。

彼の文体というものの乗り物(vehicle)になってしまったかのような気分になってしまう。

以前、途中まで読みかけていたジェイ・ルービンという村上の英訳者による、「ハルキ・ムラカミと言葉の冒険」(新潮社)をまた読みなおしている。

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たまに、村上の短編をPCに打ちこんでみたりすると、そこから、文章が書きたくなったりすることもある。

気ままな読者ですら、そんな気にさせるのだから、翻訳者などというちょっと特権的な立場にいる読者は、村上春樹が1000%くらい憑依されるのだろう。

村上春樹を英語に翻訳していくという作業の延長上で、言葉が奔出してくるというような本だ。

たしかに、あまり語られていない村上春樹の私生活のようなものもかなり克明に書きこまれているという点で、評伝というようなところもあるが、、翻訳家の思いの余剰があふれ出して文章になった不思議な本のように感じられる。

彼の人生の履歴を語るこんな、いくつかのエピソードが楽しい。

一応就職活動したらしく、テレビ局の面接を受けたあとの印象。

「仕事の内容があまりに馬鹿馬鹿しいのでやめた。そんなことをやるくらいなら小さな店でもいいから自分一人できちんとした仕事をしたかった。自分の手で材料を選んで、自分の手でものを作って、自分の手でそれを客に提供できる仕事のことだ。でも結局僕にできることと言えばジャズ喫茶くらいのものだった。」

僕は、翻訳や文章を書くプロセスのことを語るときの村上春樹が大好きなのだが、村上が自分の文体についってこんなことを語っている。

「はじめは、いわゆるリアリズムで書いたんですよ。で、読みかえしてみたら、ちょっと読むに耐えない。で、思いなおして、はじめの方を英語で書いてみた。それを日本語に翻訳して、すこしこなしてやるというようなかたちで。英語だったら、あんまり単語も知らないし、長い文章も書けない。そうすると、なんかわりに少ないことばで、短いセンテンスを書くっていうリズムができてくるんですね。」

1Q84 が200万部売れたことが話題になっている。街のいたるところで、皆それぞれに楽しそうに蘊蓄を傾けているんだろう。ちょっと夏祭り的でいいなあと思った。