21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

フェイスブックとオバマ大統領

ブログの過去のアーカイブを眺めていたら、フェイスブックの創業者の一人が、オバマ候補のSNS戦略を指揮しているというウォールストリートジャーナルの記事が目にとまった。2007年5月27日という日付も懐かしい。オバマ旋風の中核のところに、SNSがあるという記事だ。

http://ameblo.jp/whatawondefulworld/theme6-10001048913.html#main

http://online.wsj.com/article/SB118011947223614895.html?mod=home_we_banner_left

2007年5月、23歳のChris Hugesは、シカゴオフィスで、当時の大統領候補Barack ObamaのインターネットサイトMyBOの運営の責任者として多忙な日々を送っていた。その時点で6万5000人以上がこのサイトに登録していた。

約5000人のオバマ支持者グループは全国でオンラインツールを駆使して選挙運動や寄付金集め(fundraising)の運動を行っている。2週間前にはニューヨークで700名がwalk-a-thon(大行進)を行って、オバマ氏の運動のために5000ドル以上の調達を行った。大規模で、全国的な「変化をもとめて歩こう(walk for change)」運動がオンラインで組織化されつつある。4月にHughesはTシャツをインターネット販売するためのアレンジに走り回った。

3年前、Hughesはハーバード大学の2年生で、寮の部屋で、二人のルームメートと後に人気SNSになるフェイスブックを開発していた。昨年6月に彼は大学を卒業し、シリコンバレーに移り住み、フェイスブックに専念することになった。しかし5ヶ月後、彼はその仕事をいったん中断して、真冬のシカゴで、かなりの報酬ダウンにもかかわらず、オバマ氏の選挙運動という1日14時間労働を選んだ。彼は大学生の交際方法を変革した同じ魔法を大統領選挙で活用しようとしているのだ。

フェイスブックマイスペースなどのSNSは、ホームページで溜まり場を作って、自分の友人たちと交流するのを可能にするインターネットサービスだ。自分のホームページには、名前、写真、コンタクト情報、他の個人的データを掲載する。友人間でのメッセージ交換を通じて、友人の紹介、掲示板での雑談、自分が見つけたクールなロックバンド紹介などが行われる。SNSは、インターネット分野で最速で成長している分野だ。調査会社のcomScoreによると4月のUnique Visitors数は1億1100万人以上になっている。

今や、SNSは2008年の大統領選の帰趨を決する新しい力となったのは明らかだ。さまざまな候補者たちは既存のウェブサイトや自分用のサイトを作って支持者づくりや、選挙運動への動員を行おうとしている。特にこのチャネルで選挙への関心が薄いといわれる若い有権者の獲得を期待している。

こういったオバマのようなSNS活用に熱心な候補者のインターネット戦略はクリス・ヒューズのような若者たちが率いている。

インターネットが本当に得票につながるかに対して懐疑的なものもいる。2004年のバーモント知事Howard Deanの大統領選運動におけるオンラインネットワークは激賞されたが、現実の得票にはつながることはなかった。

Hughesはノースカロライナ州ヒッコリーの出身だ。しかし彼は保守的な出身地にはなじめず、高校1年の頃から脱出を計画しはじめた。彼の家庭に経済的余裕はなかったが、寄宿制の学校への入学申請をはじめた。その後彼は14歳の時に、フィリップスアカデミーの2年時に合格し、両親の心配をよそに、マサチューセッツ州アンドバーに引越して、念願を果たした。

Hughesは苦学しながら、エリート私立学校へと進学する道を探し始めた。

国の訛りも消えたころ、彼の政治への関与が始まった。

政治意識の高いHughesはハーバード大学に入学した。

ハーバード大学の2年生のときに、彼のルームメートのMark Zuckerbergがカークランドハウス寮の部屋で、新しいインターネットサイトのためのソフトウェアを書くのに熱中しはじめた。このサイトはオンライン上で、大学が学生に提供するYearbook(卒業記念アルバム)を作成するための場所だった。フェイスブックと命名されたそのサイト上で学生たちは、自分たちの写真や好きな本や映画の情報を掲載できる個人的なウェブプロフィールページを作ることができた。そして、その情報をハーバード大学のEメールアドレスを持つものとは誰とでも共有することができるという仕組みを考えたのだ。

Hughes自身はコードを書かない。彼はハーバード大学で歴史と文学を専攻し、フランスの社会、政治理論を専門にしている。プログラミングの代わりに、彼は他のユーザーの注目をひくような多くの機能やプライバシー方針を作成する面で貢献した。

彼の二人のルームメートでフェイスブックの共同創業者たちがサイト運営に専念するためにカリフォルニア州パロアルトに移住したときもHughesは学校に残った。彼は、ボストンで、同社のスポークスマンの役割を果たすことになったのだ。彼は、電話、Eメールや授業の合間の西海岸出張で協力を続けた。夏には、長期間、フェイスブックで働くために西海岸の仲間のところへ行った。


1年前、大学を卒業すると、彼もパロアルトに移住して、フェイスブックのプロダクト開発に専念するようになった。2006年の時点では、オバマ候補は大統領選への意思を発表していなかったが、彼のスタッフはオバマに対する若者の関心を喚起するために、フェイスブックに彼のプロフィールページを立ち上げたいと思った。オバマのスタッフから、フェイスブックに支援要請がなされ、Hughesが対応することになった。

Hughesはすぐにオバマ陣営がフェイスブックにオフィシャルなプロフィールを立ち上げるのを手伝った。サイトには、オバマ氏の写真、好きなミュージシャン(ジョン・コルトレーンスティービー・ワンダー)や映画(ゴッドファーザー1,2とカサブランカ)などの情報が掲載され、すぐに他のフェイスブックのユーザーたちからも多数のサポートメッセージが寄せられるようになった。

4ヵ月後、オバマは大統領選出馬声明を行った。今度はHughesの側から、オバマ候補の選挙スタッフにコンタクトし、できることはないだろうかと告げた。

1時間あまりのインタビューののちに、Hughesはオバマ陣営の選挙スタッフに採用された。彼は、ウェブサイトの展開についての自分のアイディアを滔々と述べたらしい。フェイスブックに対しては長期休暇をとっている状態だ。

大統領候補は皆、ソシアルネットワーキングの世界に恐る恐る入り込んできている。同じようにマイスペースフェイスブックなどのサイトを利用して、知名度を上げようとしている。ただほとんどが、受け身である。フェイスブックのプライバシー方針は、選挙用にユーザーグループへの大量Eメール送信を禁止している。こういった方針は、Hughesが作成したものだった。

オバマ、エドワーズ、クリントン、マケインなどは、自前のウェブサイトを構築して積極戦略をとっている。ただこの分野でも、オバマ候補は先行している。共和党の中で最大のマケイン候補のウェブサイトのユニークビジター数は22万6000人に対して、オバマ候補は77万4000人である。

オバマ陣営はフェイスブックのコピーを作ろうとはしていない。サイトの目的は政治活動であって、社交ではないからだ。オバマ陣営は自分のSNSを既成のソフトウェアを使って立ち上げたあとも、常に改訂しつづけている。好きな映画や本の紹介はできないが、オバマのスピーチやCMのダウンロードやDVDは可能だ。また資金集め用のセクションでは、達成度メーターや寄付を要請するためのEメールの文例などが利用できる。

オバマ候補のサイトは全国の志を同じくする支持者たちが新しい資金集めやボランティア活動について意見交換をするために設計されている。

MyBOの核心部分は、グループセクションだ。ここではグループ組成や、グループ加入が可能で、グループ内でのブログ投稿、アイディア共有による選挙運動の組織化を行っているのである。グループは通常は地域や、関心、共通目標ごとに組成されている。メンバーは、民主党のベテラン活動家から、初心者までさまざまである。

インターネット戦略には挫折もあった。その熱狂的なボランティアとオバマの選対本部との間に対立が生じたのである。選対本部が完全にコントロールできないことのマイナス点が明らかになった。この結果、そのアクティビストが持つ16万人のネットワークを失うことになったが、その後、自分たちでコントロールするようになって、失ったネットワークを回復しつつある。

最近では、Hughesは9時ごろから働きはじめる。そして夜の11時すぎまではオフィスにいるという。彼はオフィスの地下で食事をすることも多い。

彼の具体的な仕事はMyBoメンバーへのEメールの返信やアドバイスの提供にはじまり、さらには、グループの中で最大かつもっとも活発な67グループに自ら参加して、メンバー間のEメール交信などに目を通している。

彼が受け取るEメールの件数が1日数百通になったので、専任のスタッフを加えた。現在、Hughesは、MyBOにどのような新しい機能を付け加えるかを考えるのにより多くの時間を使うようになった。

技術オタクの支持者の中には、このサイトの制約が厳しすぎると不満をもらすものも多い。ブログに、YouTubeビデオや写真やMP3の音声ファイルが載せられないとか、サイト内の情報について、既存の検索エンジンが使いにくいなどだ。Hughesや他のスタッフはこの要望になんとか対応しようとしている。

オバマ陣営は、若々しい情熱にあふれ、インターネットについての見識が深いHughesのようなスタッフと、過去の選挙戦におけるインターネット利用の功罪を知る経験者を加えてHoward Deanの轍を踏まぬよう努力している。テクノロジーのためのテクノロジー追求ではなく、あくまでも、目標は選挙の勝利なのだ。(以上)

ぼくたちはこの記事の未来を知っている。大統領選後半にかけて、オバマブームとでもいうような社会的な熱狂をグローバルにうみだしオバマは米国初の黒人大統領となった。

その背景で、SNSという新しいウェブサービスが果たした影響力は大きい。オバマ以後、インターネットジャーナリズムのパワーを抜きにして、米国における選挙運動は語れない。アメリカという社会システムが生んだインターネットが、さらに社会システムを徹底、加速させていくというメカニズムが今も稼働している。

社会を変えるのは技術ではなく、社会の仕組みであるということを嫌というほど思い知らされているが、やっぱりこんなあたりは、危なさは秘めているものの、ちょっとうらやましい。

Hughesさんはどうしているのかを調べてみようかな。