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オランダ的寛容の美徳(IHT 2005年10月27日)その1

2017年3月10日(金)14℃ 晴

 

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過去の日記を読み直してみることができるのが、日記をつけることの唯一の報酬と言えば言い過ぎだろうか。

 

12年前に、その頃、キオスクで毎日買っていたヘラルドトリビューンの「オランダ的寛容という美徳の危機」という長い記事が載っていた。それを何度かに分けて、ブログで紹介した。

 

フォルタインが殺害されて3年目。最近、世界の注目を一身に浴びているヘルト・ウィルダースの12年前の姿が記事の中にある。当時既に、過激な反イスラム発言のため、殺害予告の対象となり、警察の保護下にあったのである。

 

思えばウィルダースは終始一貫、反イスラム路線を徹底しているのだ。あれから12年。その頑固さが、今、海外からの注目を浴びているが、FTのSimon Kuperは政治家トランプの話を10年以上聞かされていることを想像してみろと言った。たしかに、オランダ国民が辟易としたとしても不思議はない。

 

読み直してみて、驚いたのは、2005年に、既に、今論じられている問題は出尽くしているということであり、その後、なんら本質的な変化は生じていないということなのだ。

 

再度、3回に分けて、紹介してみよう。

 

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2005年11月7日付の、Roger Cohen名義の記事。


Dutch virtue of tolerance under strain 

オランダ的寛容の美徳の危機

By Roger Cohen International Herald Tribune 

http://www.nytimes.com/2005/11/07/world/europe/dutch-virtue-of-tolerance-under-strain.html


MONDAY, OCTOBER 17, 2005 

 

黄金時代の大画家たちによって描かれたオランダの家屋の中にいると、すべては整然としているように見える。しかし、鏡の中あるいは鍵穴からのぞく秘密の世界は、優美さの裏側に激しい緊張を含んでいる。

 

今日のオランダは絵画的な静けさを見せている。しかし、その裏側をそっとのぞいてみると、オランダ的装飾の背後から暴力が現れる。

 

映画作家がイスラムの狂信者から狙撃され、刺され、政治家がジハードの脅しから逃れるために身を隠し、新聞のコラムニストが威嚇により沈黙させられ、人々は恐怖の中で暮らしている。

 

移民、特にイスラム教徒の移民は欧州においても長い間問題になってきた。

 

福祉システムへの負担が高まることや、宗教や文化的な違いへの懸念だった。しかし以前は議論の余地のあったものが、いまや生き死に関わる問題になっている。

 

こういった事態は、オランダにおいて、最も顕在化している。

 

この国においては、馴染み深い、問題だらけの歴史と静かな偽善の欧州的組み合わせが寛容という見かけで包まれ、それが予想もしなかったような流血を招いているのだ。

 

「我々が自慢する、移民に対する寛容がほとんどの場合単なる無関心に過ぎず、「我々はいったいどんな国になってしまったのか」という疑問とともに置き去りにされている。」と、アムステルダム市長のJob Cohenは言う。 

 

2002年にタブーを恐れない政治家Pym Fortuyn、そして2004年にイスラムを批判した映画監督Theo van Goghが殺害されたことはオランダ人の心の安定を奪いさった。ただ、この二つの事件の意味だけが問題になっているわけではない。 

 

イスラムはいまや、欧州の一部であり、欧州の宗教なのである。

 

しかしその欧州の方はと言えば、マドリッドアムステルダム及びロンドンで起こったテロリストによる一連の殺人の後、イスラム地域からの移民を、可能性というよりはむしろ脅威としてみなすようになってしまった。

 

ヘルト・ウィルダース(Geert Wilders)はオランダ議会の右派議員だが、今、警察の保護のもとに秘密の場所に暮らしている。 

 

イスラム過激派が彼の殺害予告をしたのだ。

 

オランダの穏やかな民主主義の伝統から見ると、これは異常事態である。

 

「非西欧系の移民はすべて止めるべきだ。純粋なイスラムは暴力的である。」とWildersは発言している。 

 

Cohenのような他の政治家は障壁を作るのではなく橋を築くことに解決を見出そうとしている。トニー・ブレアジョージ W.ブッシュのように、彼らは西洋世界を脅かしているのは、イスラム自体ではなく、それからの逸脱者たちであると論じる。 

 

もともとはのんびりしていたアムステルダムでさえ、もはや、移民に無関心ではいられなくなってしまった。

 

 欧州が移民を必要とし、こういった移民は、近くの北アフリカや、貧しいイスラム諸国からやってくるということは明らかである。

 

アスパラガス摘みから、高齢者介護まで、オランダ国民がやりたくない仕事のために彼らが必要なのである。

 

オランダ社会の急速な高齢化を緩和するために、移民が必要とされている。

  

この移民が必要であるということの自明性は、移民政策、すなわち難民対策、教育政策の失敗や、西側とイスラム圏の対立の激化の中で、むしろ国内のムスリムコミュニティの統合を失敗した場合などに対する危機意識の高まりに繋がっている。

 

オランダの反テロ対策によって金曜日に7人の若者が逮捕されたことは(少なくとも一人のモロッコ系オランダ人が含まれていた)こういった緊張の最近の表れに過ぎない。 

 

「新しい宗教が登場し、我々はそれに対応する手段を見つけられていない。」と、オランダ政界に籍を置く、数少ないモロッコ系移民の一人であり、アムステルダム市の顧問であるAhmed Aboutaleb44歳は言う。 

 

「課題はイスラム狂信主義の除去であり、それは既に国内のコミュニティに住んでいるムスリムたちを社会に包摂することなしにはありえないのである。」

 

しかしこれは簡単ではない。

 

1960年以降の40年間、モロッコ、トルコ、スリナムからの移民が、高い賃金を求めて、裕福なオランダへと殺到した。

 

新参者たちは風変わりだったが、無害に見えた。

 

彼らは誰もやりたがらない工場の作業を行った。

 

ドイツと同様に「ゲストワーカー」と呼ばれ、ドイツと同様に、いつか彼らは自分の国に帰ると考えられていたのである。

 

彼らは、アムステルダムの西部地区のように補助金付の住宅のある郊外に住んでいた。こういった地域は、「ディッシュ都市」と呼ばれた。トルコやモロッコのテレビを受信するための衛星アンテナ(ディッシュ)がどんどん増えたからである。

 

今日、オランダには170万人の非西欧系移民やその子供たちが住んでいる。これは1630万人の人口の10%以上にあたる。こういったアンテナが示すように、オランダ人が考え、希望し、夢見た文化的統合とはかなりかけ離れた状況に陥ってしまっている。

 

 フォルタイン(Fortuyn)が最初にずばりとついたのがこの失敗だった。

 

彼はオランダのイスラムの偏狭さ(その同性愛への不寛容、女性への抑圧)を攻撃し、もう十分だと声をあげた。

 

動物愛護主義者の活動家が、多文化的な理想とは、「政治的に正しい」左翼的言辞にすぎないと暴いたフォルタインをその率直さの故に憎悪し、殺害した。

 

彼の死後も、フォルタインのメッセージの影響力は増していった。 

 

寛容はもはや流行らない。

 

アイアン・リタというニックネームで知られる移民大臣のRita Verdonkに代表されるようなタフさが求められている。 

 

その結果、いまやオランダは移民が入国しにくい国になっている。

 

そして既に入国している人々に対してはオランダ文化を受け入れることを義務づけようとしている。

 

「冬にアイススケートをしろとか、木靴をはけとか言っているのではない。しかし少なくとも彼らがオランダ語を学び、男女平等のような基本的な価値を受け入れることを期待している。」とVeronk配下の上級顧問は語る。 

 

Van Goghの殺害犯人のMuhammad Bouyeriがもっとも嫌悪したのがまさにそういった価値の押しつけだった。 

 

彼はモロッコの移民の子としてオランダで生まれ、育ったにもかかわらず、そういった感情を持ったのである。

 

27歳のBouyeriは7月に法廷で、「解放されたら、同じことをまたやる」と発言した。 

 

彼は、この殺害はイスラム法によって正当化されると主張した。イスラム法は彼に対してアラーやその預言者を侮辱するすべてのものの首を切り落とせと教えていると言った。

 

ブッシュ大統領は、戦闘的ジハード主義あるいはイスラムファシズムについてのスピーチの中で、Boyeriがvan Goghの母を否定して「私は貴方の痛みを感じない。なぜなら貴方は異教徒だからだ。」と発言したことを引用している。 

 

オランダや、他の欧州諸国は、移民の必要性と、同化しきれない移民の過激化の間のどこかで折り合いをつける必要に直面しているのである。(続く 1/3

 

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