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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

トランプのアメリカ:Gay Talese、High Notes(1966-2011)

2017年1月30日(月)18℃ 曇りのち晴

114,725¥/$

 

今日は、トランプの特定の国籍の者を対象にした入国管理の厳格化をめぐる世界中の空港での大混乱のニュースが飛び交っている。

 

グリーンカードを持つ米国居住者の中でも航空会社から搭乗を拒否された旅行客が現れたらしい。米国の裁判所の中には人権団体からの訴訟を受けて、大統領令の効力の一部停止などを決定したものもある。

 

トランプ政権はこういった混乱も含めて、想定しているのだろう。試行錯誤的にビンボールを投げて、ストライクゾーンを探るようなアプローチのようだ。

 

欧州の極右政党を除いては、マスコミも含めて概ね批判的である。

 

トランプ対マスコミの対決は今日も続いている。

 

日曜日は、ウォールストリートジャーナルもフィナンシャルタイムスも休刊日である。インターネットの時代になって、ウェブページが全く更新されないということはなくなったが、基本、日曜日のビジネス紙は低調である。

 

ガレージ前に雑に放り出されたニューヨークタイムスの分厚い日曜版は、アメリカ生活の日曜日の定番である。デジタル版では、大量な織り込み広告を振り分けながら、お目当ての記事を見つける過程の贅沢さは味わうことはできないのは少々寂しいところだ。

 

書評欄を眺めていたら、Gay Taleseの名前があった。アーウィン・ショーやレイモンド・チャンドラーなどに並んで、もっとも好きな英文を書く作家である。

 

 

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60年代末からのニュージャーナリズムという動きの中で、トム・ウルフと並んで旗手と呼ばれたのがゲイ・タリーズである。このトレンドは、日本の沢木耕太郎に大きな影響を及ぼし、その後も、スポーツジャーナリズムの文体に支配的影響を及ぼした。

 

何が新しかったのか。客観性が重視された当時のジャーナリズムの世界に、取材者があえて取材対象と深くかかわることでより濃密な描写を追及したのである。フィクションとノンフィクションの境を走るアクロバティックな活動が毀誉褒貶を産んだ。

 

主観と客観の間で取材対象に体重を傾けることで微妙なバランスを取るその作品は独特な魅力で多くの読者をひきつけていった。フィクションに近づきすぎては、事実の輝きを失い、ノンフィクションに徹しすぎれば、事実の墓場の中に埋もれてしまう。書き手が困難な綱渡りをするそのこと自体が魅力になったのだ。

 

ゲイ・タリーズの傑作として大学のジャーナリズム学科の必須文献となっているのが、彼の書いた「フランク・シナトラは風邪をひいた」である。

 

この傑作も含む、彼の作品の新しいコレクション(1966-2011)High Notesの書評がニューヨークタイムスの日曜版の書評欄で取り上げられていた。

 

From Frank Sinatra to Lady Gaga, the Greatest Hits of Gay Talese

https://www.nytimes.com/2017/01/25/books/review/high-notes-gay-talese.html?ref=todayspaper

By MERYL GORDON

 

「この作品の素晴らしさは言うまでもないが、大学で私は、今日の記者ができないことについての客観的教訓としてこの作品を使っている。タリーズはテープレコーダーを嫌った。そしてこの作品集の中に含まれているエッセイの中で、彼は、自分の普通じゃない取材技術について論じている。彼は「フランク・シナトラ」の中のシーンを目撃している間、一度もノートを取らなかった。その代り、引用部分も含めて数時間後に自分の記憶を書き起こしたのである。当時の自由奔放なジャーナリスト精神はタリーズの反抗的な約束事との対決に高い敬意を表したであろう。しかし現在の一般国民のジャーナリストへの不信と偽ニュースの急増を前提に、私は学生たちに、気軽にこのやり方を試みるべきではないと教えている。」

 

主観と客観のはざまで、その存在をかけたアクロバットをする書き手と、AIを活用して、検索エンジンに愛されるような、本物さをねつ造する偽ニュースの危うさを比較することはできない。

 

怖れるのは、偽ニュースに対する正論的な批判が、本来あるべきこのジャーナリストのバランス精神をおかしな方向で狂わせてしまうことだ。

 

「もう誰も覚えていない19世紀のアメリカの新聞編集者が、ジャーナリズムには年寄の居場所はないと書いたことがある。タリーズの凄みは1932年生まれの彼が今でも熟練したストーリーテラーであり、リズム感のある文体は多くの共鳴音を引き起こし、未だに、おなじみの完全無欠の特別仕立てのスリーピースに身を包んで、現役としてのスタイルと活気を維持していることだ。」

 

というこの書評の結論部分を読みながら、主観というよりは都合の良い嘘を利用することに対する確信犯的決断という劣化した環境の中で、ゲイ・タリースは常にアンビバレントな存在でいつづけているということを痛感した。