21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

SF:カフェでHerについてのビデオを見つけた

 

日曜日の朝、また、「her」を観てしまった。これはいわゆるハマっているという状態だ。

 

この時代にもスティーブ・ジョブスが登場したようで、ユーザーインタフェースがさらに進化している。

 

テクノロジーと人間の関係性において、一番大切なのはユーザーインタフェースだ。

プログラミング中心の時代は、早晩終焉する。

 

電波塔を作る人、受信機を作る人の役割が重要なのは当然だ。しかし皆が、新時代のものづくりに走ってしまったなら、僕たちはお互いに何を伝えあえばいいのだろう。

 

この映画の主人公のセオドアは、親密なレターを本人に代わって代筆する仕事をしている。

 

Short-form革命が行きついたところは、誰も自分の心情を伝えるのに手紙を書かなくなったことだった。しかし、既にそれは半ば現実になっている。封書であれ、ハガキであれ書かなくなってから久しい。

 

携帯電話がなく、自宅の電話には相手の親が出るという苦境の中で、僕は、多くのハガキを書いた。封書という閉鎖性が嫌で、他人(親?)の眼にもさらされるという前提で。そんな過去が大昔に思える時代になった。

 

来週初め、天気が悪そうというニュースに背中を押され、早めに散歩に出かけた。

 

近所の大学祭真っ最中のキャンパスに隣接するカフェでherの検索。

 

f:id:trailblazing:20150517092629j:image

 

 

 

 

15分(NHKの連続朝ドラ1本の長さ)のビデオを見つけた。

 

ランス・ハングスという人が、Herに対する様々な人々の感想をまとめたビデオだ。なかには、この映画でもデート相手を演じるオリビア・ワイルドも登場する。

 

http://cherishweb.me/wp-content/uploads/2014/06/HER-FP-0827.jpg

 

オーデイオメディアの可能性を感じている。その中心は、ナガラの可能性だ。移動、運動との共存可能性の意味は大きい。

 

ビジュアルメディアの問題は、容量、電源、身体的負荷である。最初の二つは現在の技術的制約のもとでのAffluence/scarcityの問題である。しかし最後の身体問題は意外に大きい。

 

ただ今、僕はちょっとしたジレンマの中にある。英語でのコンテンツの供給の膨大さと、自分の英語力ということを前提にすると、ビジュアルメディアにもいまだに大きな意味があるということだ。

 

実際、この「herにみる、現代恋愛事情」には、字幕がついているのである。

 

Wi-Fiが使えるカフェならば、YouTubeは最強なメディアなのだ。

 

かなり良く出来たビデオを堪能し、またサーフすると、僕にとっての一昔前のヒーロー(今は嫌いになったというのではなく、めっきり読まなくなったという意味)粉川哲夫のHerレビューが見つかった。

 

フランクフルト学派で、日本指折りのメディア批評家が、Herについてのかなり発言をしているということが、自分の実感とフィットしていて、ちょっと嬉しかった。

 

昔の師匠に認められたようなちょっとした晴れがましさ。

 

いずれにせよ、今の技術環境が可能にするのは、オーディオかビジュアルかテキストかというような問題ではないということだけは明らかだ。

 

テクノロジー制約の変化によって、人間が利用できる技術環境は恒常的に変化する。しかし、その過程で暗黙に変化する人間の考え方や行動は、見えない分、慣性が強い。

 

そういう意味では、メディア批判というジャンルが再び黄金時代を迎えてもいいくらいなんだろう。

 

 

 

 

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