21世紀ラジオ (Radio@21)

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内田樹さんの安保論

内田樹さんの言葉は、ぼくにとってはできのいい法話のようなものである。お坊さんが葬儀、一周忌、あるいはその他もろもろの仏教的集まりで語る言葉である。ぼくの家系は、医者と坊主と教師の混成部隊のようなところがあり、その意味では、お坊さんの法話にはかなり口うるさいところがあった。人間的深淵さに欠け、しかも、教養的にも難がある法話などに対しては、ひどい扱いをしたものだ。当然、声を荒らげるようなことはないまでも、まわりと厳しい目配せを飛ばしあうというような。

めっきり、心にしみる法話を聞けなくなった。内田樹さんの本は相変わらず、出版されるたびに、片っ端から読んでいる。一つの本という塊というよりは、内田樹の言葉を切れ目なく聞いているというような感じだ。

いつも、そこには、内田さんの語り口がある。何を語ってもそこには内田さんがいる。ある意味、内田さんは同じことを繰り返し語っている。

だから、ぼくは、これを法話ととらえている。

最近、ぼくは、日米同盟について、ずっと考えている。すると、ちょうどいいことに、内田さんがブログで安保のことを話している。

http://blog.tatsuru.com/
『私たちが安保条約に反対したのは、条約「そのもの」に国際法上の整合性がないという理由からではない。

「アメリカの核の傘での日本の平和」がまったく国益に資さないという理由からではない。

国際法上には瑕疵がないのかもしれないし、軍事に投ずべき予算をアメリカに負担してもらうことはむしろ国益に資するという判断も合理的かも知れない。

「日本は戦争に負けたので、これからはアメリカの軍事的属国になる以外に選択肢がないのだ(その悲しみと恥を国民的に共有しよう)」といういちばん常識的な言葉だけが、左翼によっても、右翼によっても、誰によっても口にされなかったからである。

私たちはそのことに苛立っていたのだと思う。』

内田さんは、自分の弱さを認めるには、一定の強さが必要だという。60年代、70年代の日本人はそんな強さがなかった。だから政治家は、アメリカ人が無造作に振り回す「日本はアメリカの属国じゃないか」という事実認識を、必死で、密約や不必要なほど大量なお金を使って、隠蔽しようとした。隠されている側も、薄々わかっていながら、みっともない弱さを直視するのは嫌なので、その弱々しい嘘にのった。それが戦後50年だった。

さて今回、日本人は少しは強くなっただろうかという問いに対して、内田さんは、今回は若干強くなったんじゃないかと考えているらしい。

『ただそれが「日本が強くなった」ことによってではなく、「アメリカが弱くなった」ことによってもたらされた望外の帰結ではなかったのかという一抹の不安がぬぐえない。』

というような論旨だ。

密約をめぐる歴史的プロセスを読んでいても、自分たちの独立性という見かけを守るための佐藤総理大臣たちの右往左往の悲喜劇と、ベトナム戦争泥沼化の中でそれどころじゃないのに、カネをもぎとるという目的はあるものの、それなりに親身に付き合うアメリカ側の妙な「気の良さ」のようなところまで感じる程だった。

ただ、自分たちの見せかけの独立性のために、「沖縄」は忘却されることになった。

忘れられない事実を、忘れた振りをすることによって、達成された戦後日本。

それを置き去りにしようとしていないとすれば、そのことだけでも、今回の政権交代には意味があったと思う。