2018年の元旦
生活のプロトコルというものには、比較的無頓着である。世間が拘る習慣のほとんどは無視している。ただ元旦というプロトコルだけはなぜかフルバージョンで生き残っている。朝、家族で乾杯をし、雑煮を食い、揃って親のところへ年賀に行き、駅伝や、天皇杯を見ながら酒を呑む。あと数年もすれば、いろいろな事情で集まる顔も減っていくのは必定だ。
しかしそれだからこそ、残ったプロトコルは大切だともいえる。
往復の電車の窓から眺める街並みもいつもより静かだった。
いつもは街中に充満している行き交う人々の思念の量が決定的に希薄だ。
何かをしなければならない、何かが欲しいという思いが、ひととき、収まっているのかもしれない。
年始の希望とか目標とか言う前に、ぼくたちはこの怠惰と無為というものをひととき味わった方がいいような気がする。