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渡来人の作った日本文化(沖浦和光 「陰陽師とはなにか;非差別の原像を探る」)

日本的芸術の極致のように語られるのが能だ。

 

その創始者は、風姿花伝で知られる、世阿弥

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世阿弥の実名は元清で、自ら秦氏と称した。

 

秦氏は、古代の日本文化、文明に甚大な影響を及ぼした。古代の渡来系氏族の中でも、最大の集団だったという。

 

その一族の活動は、『日本書紀』『続日本紀』をはじめ数多くの資料に記されている。秦の始皇帝の後裔を称し、応神天皇の御代に百二十県の人夫を率いてやってきた弓月君(ゆづきのきみ)を祖とするが、実際は新羅加羅が出身地と推定される。(沖浦和光

 

日本のナショナリズムという業病が、戦後近代社会に対する漠然とした信頼を揺るがしている。純粋な日本人という抽象概念を弄び、一つの時代を台無しにした、古びた空語を弄ぶ輩の跋扈に驚かされた。驚いた後に、迂闊に見過ごしていた自分の不明を恥じるばかりだ。

 

この気持ちの悪い時代の空気に対して、自分にできるのは何なのだろうか。

 

まず、大事なのは、事実である。観念に拘泥するのはなく、事実を直視することだ。

 

日本という国の歴史は、常に、東南アジア、中国、ロシアなどとの絶え間ない交通の只中にあった。教科書の中で鎖国という言葉が抹消されるというような話も聞いたが、絶え間ない交通ということと、雑種性というものを直視するためならば悪くないのかもしれない。

 

朝鮮半島には、日本人のレイシズムの起源がある。とりわけ、中国、北朝鮮、韓国をめぐる不安定性の高まりは、この場所が、常に日本史における火薬庫であったことを否が応にも思い出させられる。

 

沖浦和光さんの「陰陽師とは何か」の中にこんな一節がある。

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北東アジアの政治的情勢の大きい転機となったのは、660年の百済滅亡、そして668年の高句麗滅亡だった。その際、多くの難民・流民がこの列島にやってきた。王侯・貴族は「蕃客」として受け入れられたが、下層の民衆に対しては厳しい入国管理制度で対応し、戸籍では王化に服する「帰化人」とされた。そのような時代の流れとともに、これら七世紀後半に新しくやってきた「韓人」に対する賤視観が強まったのである。

 ヤマト王朝も、遣唐使によって先進文化を摂取する方向に外交政策を切り替えた。したがって、旧三韓国に依存していた文物の導入ルートも、さほど重要ではなくなった。

 

 

八世紀後半に、既に、朝鮮半島三韓からの渡来人に対する差別意識が広まっていたという事実に、悄然とする。そして、常に、時代時代のレアルポリティークが時代時代の政治意識を規定するのだという事実に、1000年以上も前の過去が、今この現代に直結するのを感じる。

 

大国とのはざまで隣接する小国同士の感情のもつれ、捩じれというものは、ちょっとやそっとでは、解けないのだ。もつれた糸を解こうとすれば、解こうとするほど、それが決して切り離すことのできないものであることが露呈する。

 

日本のレイシズムは、薄々、その事実に感づいていながら、感情的に決して認めたくないという錯綜した情念の現れであるという意味で、深刻なのだ。


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