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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

商人たちの共和国の現在を憂う (黒田美代子 商人たちの共和国、青山弘之 シリア情勢、)

2017(平成29)年4月17日(月)25℃ 晴れのち雨 108.325¥/$

中東研究者の故黒田美代子さんは、「商人たちの共和国:世界最古のスーク、アレッポ」(藤原書店)という、内容ばかりでなく、その装丁すら中東世界の優美さを漂わせる傑作を私たちに遺してくれた。

 

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商人たちの共和国―世界最古のスーク、アレッポ | 黒田 美代子 |本 | 通販 | Amazon


数年にわたる現地フィールドワークに基づいて、中東世界の精華ともいうべき、アレッポのスークの歴史、そしてそこに住む人々の息遣いを生き生きと伝えている。

 

『スークのたたずまい、雰囲気の中には、縁日の屋台や卸売場に共通の、いわゆる通常の資本主義的な慣行、日常的な商行為がかもしだす雰囲気からはみだすものがある。そこにはハレの日の華やぎや、定価の専横に反抗する意志のみなぎりといった共通のものが明らかに存在している。ただしスークの本性を見定めるためには、このような似て非なるものを例に挙げることは、百害あって一利もないといえよう。この伝統的な市場は、それに固有な奥深さをたたえ持っている。その秘密を探るためには、安易な比喩に頼ってはならない。われわれは執拗に、スークそれ自体が啓示する声に耳をかさなければならないのである。』

(黒田美代子)

 

その商人の共和国は、今、悲惨な戦火の中に置かれている。

 

そして、終わりの見えない、シリア内戦の悲劇は、まさに、黒田氏等の本当の地域研究者たちが、そこに暮らす普通の人々の歴史と、文化と生活に対する、内側の声に虚心に耳を傾け続けるという万感の友情に基づいた活動の、対局にある、政治化され、党派性の強い、「外側からの視線」によって翻弄されている。

 

これは、中東政治への、欧米帝国主義の支配の根本にある、オリエンタリズムという視線のロジックの永続性の現代的現れだ。

 

外側からの視線。言い換えれば、オリエンタリズムという視線の論理が、中東地域を、支配しつづけるという、おぞましい現実がそこにある。

 

そしてこの「外側からの視線」は、複合しており、錯綜しているのだ。

 

中東政治専門の青山博之さんは、近著「シリア情勢;終わらない人道危機」の中で、シリアの普通の人々の命が、外部の多数の勢力によって駒のように弄ばれる現状を、克明に描き出している。


 

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シリア情勢――終わらない人道危機 (岩波新書) | 青山 弘之 |本 | 通販 | Amazon

 

シリア内戦は、争点や当事者を異にする複数の局面が折り重なって展開する重層的な紛争である点に最大の特徴がある。シリア内戦が複雑で難解だとの印象を与えるのは、この事実を考慮せずに、「独裁」対「民主化」という構図のもとで事態を理解し、現実と異なったヴァーチャル・リアリティを描こうとするからだ。(青山弘之)

 

アラブの春」に触発された抗議デモに対するアサド政権の暴力による抑圧が始まりであったことは否定できない。しかし民主化という側面から「アラブの春」という現象を切り取った「通俗的解釈」の中で、善と悪が、短絡的に定義され、アサド政権は、単純な「悪」として一方的に、非難されることになった。

 

その過程で、「善」を代表するとされた「反体制派」は、この俗流的視点を最大限活用し、欧米諸国、中東諸国から、思惑の違った資金を大量に調達することによって、内実に多くの闇を抱える運動体へと変質していった。

 

欧米諸国、中東諸国、そしてロシアは、それぞれの地政学的利害に基づいて、それぞれの当事者を支援することになった。

 

しかも、それぞれの地政学的な利害に過ぎないものは、常に、民主化、人権等の「美しい」偽の言葉によって、その本質を隠蔽されることになった。

 

この重層的な言葉の汚れと暴走が、シリア情勢を収拾がつかぬ状態に追い込んでいく過程を青山氏は鋭利に描き出している。

 

重層的な紛争としての特徴を持つシリア内戦は、当事者たちが非妥協的に自らの「正義」を掲げて、他者を排除し、自らの目的を実現しようとする点に、際限のない暴力再生産の主因を見出すことができる。彼らが不意かざす「正義」が錯綜するなかで、シリアは、「今世紀最悪の人道危機』と評される惨状に陥ったのである。(青山弘之)

 

トランプ政権によるシリア空軍基地の突然の攻撃によって、オバマ政権の罪が、現政権にも引き継がれることになった。

 

何が正しいのかを考える前に、何が今起こっているのかを、正確にとらえる努力が、まず、この地域を直視するためには必要なのだということを痛感する。

 

しかも、多くの言葉が、その正確な把握を妨害するための、意識(無意識)の虚言によって取り囲まれているということを常に意識しなければならない。

 

青山氏の近著は、そういう心構えを助けるという意味で、時宜に適った出版だ。

 

 

「さあお客さん、お茶でもどうですかね。それともコーヒーですか。」

「有難う、それではコーヒーをお願いしましょう。」

 

(中略)

 

ゆっくりとトルコ・コーヒーをすすってから、主人とのよもやま話。今日は時間が早いせいか、通りに客足が少ない。すると黒い茶―ドルをまとった人品卑しからぬ年配の婦人が店に入ってくる。すると主人は引き出しから紙幣を出して、彼女に渡している。大きな額ではないが、決して僅かな金額でもない。黙って座ってみていると、また似たような老婆がやってきて主人が彼女に小金を渡している。ところでまたしばらくすると、また老婆がやってくるのである。

 

「ここはずいぶんお婆さんのくるところですね。今日は一体どうしたのですか。」

 

「ああ、今日は特別なんですよ。木曜日だから。」

 

「木曜日になにが…

 

「卸しの決算日なんですよ。だから儲けの何がしかをお裾わけするのです。これはここの昔からのしきたりです。」

 

「なるほど、ではここにやってくるお婆さんたち、みんな貴方の知り合いかと思ったら、物もらいなんですね。どうもおかしいと思った。」

 

「物もらいですって。そういう言い方はいけませんね。お客さんのお母さんにあたるぐらいの品のいい人たちでしょう。手元不如意な人たちとか、日本語にもそんな表現はないのですか。アラビア語ではムタワースィルといいますが。」(黒田美代子)

 

帝国主義は永続している。重層的な虚語によって粉飾することさえおざなりになった中東地域でその醜悪さが極限に達した。

 

そこには、侵略者するものの醜悪な悪意の異臭だけが、隠蔽された言葉の中から、立ち上ってくる。

 

黒田美代子さんが、万感の友情を持って描き出した、この豊かな文明地域の、普通の人々の、堅実で穏やかな暮らしを支える可能性の中心を語る、このような声を途切れさせてはいけないということを痛感する。