三谷太一郎 日本の近代とは何であったか
2017年3月27日(月)12℃ 雨時々曇
110.54 ¥/$
書店で手に取り、一ページ目を開いた途端、これは自分に語りかけている本だと思う経験が稀にある。
神保町の東京堂書店で、何の気なしに、手に取った、日本政治外交史の三谷太一郎さんが岩波新書で出版された「日本の近代とは何であったか――問題史的考察」がその稀な一冊だった。
教育勅語というおそろしく古びた言葉が日常的に語られるという異様な状況を作りだしてくれた人々にある意味感謝している。僕が日本の近代を何も知らない、その過去を知らずに、現在、未来を考えられるはずもないことを痛感させてくれたからだ。
そんな僕に、小さなこの本から発せられる強い熱情が流れ込んでくるような気がした。
三谷さんが試みたのは「日本近代の初歩的な概念的把握と近代後の日本及び世界への展望」である。その謙虚さとは裏腹に、この小さな本は、このテーマを語るのに必要なものをすべてきわめて高いレベルで網羅している。読み流して書棚に仕舞い込めるようなものではなく、今の自分たちを内省する際に繰り返し繰り返し読み返すことことができる「厚み」を持った書物だった。
目次を見るだけでも、その目指すものの広さと大きさがわかる。
序章 日本がモデルとしたヨーロッパ近代とは何であったか
第一章 なぜ日本に政党政治が成立したのか
2. 「文芸的公共性」の成立――森鴎外の「史伝」の意味
第二章 なぜ日本に資本主義が形成されたのか
第三章 日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか
第四章 日本の近代にとって天皇制とは何であったか
4.「教育勅語」はいかに作られたのか
終章 近代の歩みから考える日本の将来
簡単に要約できるような本ではない。
迫りくる西欧列強の帝国主義的進出に備えて、独立を保つためには、列強の近代モデルを選択するしかないという明治期の支配層の機能主義的決断から日本の近代は始まった。
三谷さんは、当時の知識層も準拠したと思われるウォルター・バジョットの近代概念を手がかりに、日本の近代を読みといている。
『バジョットの「近代」概念にとって重要なのは、「前近代」との関係でした。バジョットの場合、「近代」と「前近代」との間には断絶と連続がありました。「近代」は「前近代」を否定し、それから断絶することによって成立すると同時に「前近代」のある要素をよみがえらせることによって出現すると説明するのです。 「近代」から断絶される「前近代」の要素とは、固有の「慣習の支配」です。それは「近代」を特徴づける「議論による統治」とは相容れません。ただ、「前近代」にも、古代ギリシャに見られるように、「慣習の支配」と対立する「議論による統治」の先駆的形態が形成されていました。』
しかしこのバジョットの近代概念は、暗黙の前提があったのである。
『ここで含意されているのは、「旧い東の慣習的文明」から「新しい西の変動的文明」への移行、すなわち「前近代」から「近代」への世界的規模における移行が、西の文明圏による東の文明圏の植民地化を通じて行われるという命題です。』
欧米列強という一部の担い手を前提とした自由貿易帝国主義を、そのクラブに入っていない日本が追い求めるという決断が、日本とアジアの周辺諸国を多くの悲劇に巻き込んでいくことになったのである。
バジョットが「議論による統治」を補完して、前近代から近代への移行を可能にした要素として、貿易、植民地化を指摘している。
『たとえば貿易は明らかに異なった慣習や異なった信念を持っている人々を密接な近隣関係に置くのに多大な貢献をした。そしてこれらの人々すべての慣習や信念を変えるのを助けた。植民地化はもう一つのそのような影響力である。植民地化は人々を異質の人種であり、異質の慣習をもつ原住民の間に定住させる。それは一般に植民者たちを彼ら自身の文化的要素の選択に過度に厳格にしないようにさせる。植民者たちは現地の有用な集団や有用な人々と共生し、それらの文化的要素を「採択」せざるをえない。原地民の祖先の慣習は植民者自身のそれと一致していないかもしれないにもかかわらず、いな、事実において正反対であるかもしれないにもかかわらず。』
欧米列強の自由貿易帝国主義の方が、物理的に植民地を運営するよりもはるかにコストが低いにもかかわらず、なぜ日本はその経路を取らなかったか。第一に、その方式自体、欧米列強にのみ可能な手法だったという赤裸々な事実がある。第二に、日本にとって植民地とは、単なる利益動機だけではなく、国境を防御するという意味合いがあったのだ。しかし物理的植民地政策をとることによって、領土内に多くのナショナリズムを抱え込むことになり、結果、領土全体をコントロール不能なほどの潜在的不安定さが覆うことになっていったのである。
経糸にバジョットをモデルとした発展モデルを置きながら、三谷さんの議論は、多くの豊かな細部に広がっていく。
とりわけ、ハーバーマスの公共性の議論を援用して語られる、政治的コミュニケーションを可能にした文芸的公共性の観点から、森鴎外の一連の史伝ものを読み解く部分はきわめてスリリングで、今後、多くの広がりを持ちうる分野に思えた。
いずれにせよ、議論をするにせよ、これから自ら研究を進めるにせよ、きわめて堅固でありかつ親切な出発点を提示してくれている名著である
今一番気になっている国有地関連スキャンダルだが、それ自体の行方よりは、それによって暴き出された偽歴史の充満というか、より正確には、歴史意識の欠落という現実がより重い。
その関心を深める上でも、この本は多くの示唆を与えてくれる。
明治期の政治家たちが確信犯的に取った機能主義というものを歴史として否定することはできない。自分が同じ立場であっても、同じ行動をとらざるを得なかっただろうと意識である。しかし問題は、生き残るための機能主義的な精神が、いつ、どのように失われ、官僚主義的思考停止が現実化し、日本を滅亡の間際まで追い込んだのか、その過程でどのような害悪を自国民及びアジア近隣諸国の国民に及ぼしたのか、そして、その過去に基づいた、日本の現在というのは、どのように形成されてきたのか。
繰り返しになるが、粗雑な言説が流通するのは、粗雑な思考が充満しているという理由からではない。自らの過去(ひいては現在)に対する自覚あるいは思考の欠落によるのだ。
『冷戦の終焉に伴って顕在化した日韓中三国間の「歴史認識」の政治問題化も、それぞれの民族主義の摩擦という面があることはいうまでもありませんが、同時に事実としての共通の「歴史認識」を通しての新しい「地域主義」の模索という面があることも否定できません。日本も韓国も、それぞれの近代史を一国史として書くことはできません。少なくとも日本の近代は、韓国、さらに朝鮮全体の近代と不可分です。日本の近代の最も重要な特質の一つは、アジアでは例外的な植民地帝国の時代をもったことにありますが、その時代の認識は、同時代の朝鮮全体の現実――今日いわれる朝鮮にとっての「植民地近代」の現実――の認識なくしてはありえません。その意味の日韓両国の近代の不可分性を具体的に認識することが、両国が歴史を共有することの第一歩なのです。このことはまた中国についても同様です。』
過去を直視するのは、自分が今をよりよく生きるためである。自分が何であるかということから目を背けて、今を、健全に生きることはできない。
東京堂で感じた直観は正しかった。この本は、まっすぐに、僕にめがけて書かれたメッセージだったようだ。