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安倍晋三という政治家(トランプのアメリカ)

2017年2月2日(木)9℃ 晴

 

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パックスアメリカーナと呼ばれた時代が終わりを告げつつある。政治を担う者たちも、それに統治される国民も等しく歴史観、世界観を持たなければならない時代が到来したと言い換えることができるだろう。

 

アメリカの大手メディアと、その考え方を無批判に踏襲する日本のメディアが過小評価するほど、ドナルド・トランプの歴史意識は希薄ではないかもしれない。彼らが既存体制を破壊しようとするその意志の強さは決して一時期のケレンに留まらない可能性が大だ。そしてその破壊を、未来の歴史家が否定的に評価するとは限らない。

 

同じく大手メディアがともすれば過小評価したがるのが安倍晋三という存在である。その知性、品格等を貶める批判が、その圧倒的な影響力へのやっかみの下に伏流している。

 

好き嫌いは別として、安倍晋三という政治家の歴史意識と政治的世界観を舐めてはいけない。

 

彼には、他の凡庸の政治家には得られない豊かなテキストが存在するからだ。

 

岸伸介、安倍晋太郎からの一子相伝の政治意識である。

 

ともすれば担当する国の世界観に取り込まれがちな日本の外務省と対立しながら官邸の独自外交を、どちらかと言えば安倍寄りの目線で描いた山口敬之の「暗闘」(幻冬舎)の中で、安倍が38歳の時にまとめた父・安倍晋太郎の外交記録『吾が心は世界の架け橋』(新外交研究会)と、祖父である岸信介が政治史学者の原彬久のインタビューに答えた「岸信介証言録」(中公文庫)の存在が指摘されている。

 

www.gentosha.co.jp

 

岸信介証言録|文庫|中央公論新社

 

とりわけ、「憲法改正北方領土返還問題」を日本の政治家が解決すべき二大問題であるという意識をもった祖父に関するオーラルヒストリーを安倍は7回も繰り返し読んだという。

 

こういった歴史と政治の論理が血肉化しているのが安倍晋三という政治家だということを過小評価すべきではない。

 

ポストパクスアメリカーナの時代には、自らの歴史意識と政治的世界観を持たない国は生き延びていけない。

 

ポエニ戦争で、ローマを徹底的に追い詰めたハンニバルを、有名なザマの地で若いスキピオが追い詰める。その決戦の前に行われた二人の天才の対話を、ボリビウスの著作に依拠して、塩野七生が描いている。

 

www.shinchosha.co.jp

 

 

40代のハンニバルが20代のスキピオにこんなことを言う。

 

「わたし自らの経験からも、運というものはわれわれ人間を、まるで幼児に対するかのように弄ぶものであるということを学んだ…。(中略)現在からは予測できない未来があるということであり、良きことはより多き方を選択し、悪しきことはより小さい方を選ぶやり方でしか、それへの対策はないと言いたいのだ。」

 

ローマをギリギリまで追い詰めた、世界的名将がカルタゴの衰亡をかけて、和平を語る言葉の重さ。

 

まさに私たちは、現在からは予測できない未来にさらされている。その中で滅亡をさけるためには、「良きことはより多き方を選択し、悪しきことはより小さい方を選ぶ」というはりつめた試行錯誤を続けるしかない。それを政治意識と呼ぶ。

 

その時に、完全とは言えずとも、立ち返るべきテキストを持つものと持たないものの差は大きい。

 

統治される側である、私たちは、不確実性の中を試行錯誤的ながら、断固として前進できる政治家を必要とする。安倍晋三がそれに見合うのかどうかは、未来の歴史家にしかわからない。

 

しかし政治とは決断である。それは政治家だけの問題ではないのだ。自らと子孫たちの未来をかける、統治される側の覚悟というものが問われる時代が到来しているのだ。