音楽の時間:ストリーミングサービスの勝者は?
AWAをしばらく使っている。
SpotifyやApple Musicなどと比べると曲数には限界があるんだろうが、それほどマニアックな音楽ファンでもないので、自分でPlaylistを使いながら、結構楽しんでいる。
久しぶりに音楽自体への関心が戻ってきた。しかし再び、人生の中で音楽が占める割合が増えるかどうかは定かではない。
Playlist作りへの熱中が一周したら、熱が冷める可能性も大だ。僕の熱というものを誰よりも信じていないのが、僕自身だ。
ウォークマンが発売された時に感じた感動を思い出してみた。
周囲が瞬間に映画に変わるのが感動だった。
車窓の風景のBGMとしての音楽。
夜の首都高をAWAで見つけた曲で、久しぶりに走った。
Marc Van Roonというオランダのピアニスト。
車の走行の映像に、ゆっくりしたリリカルなピアノがオーバーラップする。
昔見た、クロード・ルルーシュの映画のような風景が車窓を流れた。
久々に、周囲が映画になる瞬間だった。
この感動が続くのかというのも一つの疑問なのだが、そもそも、最近話題のストリーミングサービスに持続可能性があるのかということも気になって仕方がない。
Spotifyも最近サービス開始をしたアップルミュージックも、曲数は3000万曲とか。過去数十年間発表された音楽のほとんどが含まれている計算らしい。
FTの記事を「ストリーミング戦争の勝者は誰か」モーニングコーヒーを飲みながら、眺めた。
昔と違って、最近は紙の新聞ではなく、タブレットやスマートフォンやPCで読んでいる。しかし新聞を読むときにコーヒーが飲みたくなる習慣だけはなかなかなくならない。
アップルのストリーミングのサービスのローンチのプレゼンもパッとしなかったというあたりから記事が始まっていた。
それもそのはず、アップルらしいのサービスの新しさが皆無だったから。
価格体系もほぼ同じ。後追いの典型だ。いわゆるらしくないのだ。
Tidal、Spotifyなどのサービスの比較なども行っているが、要点は、結局、現在のストリーミングサービスは消費者だけが勝者なので、いつまでも続かないということだ。
Spotifyは、市場拡大という将来への期待を先取りした投資家が足元が赤字の事業計画に巨額の株価をつけて、どんどん現金を投資するからこそ、足元では、お金が回らないビジネスがやっていける。
ストリーミングサービスを拒否しているミュージシャンも少なくはない。でもTaylor Swiftを除けば、皆年寄りミュージシャンばかりで、新しい音楽づくりよりも過去の遺産が大事な連中ばかりとこの動きにはFTはいたって冷ややかだ。
今のところ、消費者以外には、勝者が見つからないストリーミングサービスだ。
最近は、音楽業界を破壊する元凶のように言われるプラットフォーム事業者だが、本質は、Napster世代が、音楽に全くお金を払わなくなったことにある。それに対する対応策として生まれたのが、適法ストリーミングサービスだった。
CD売上、ダウンロードサービス売上をストリーミングが食っていっているのは事実だ。
しかし、そもそも、Napster世代が、海賊盤を違法に手に入れて、様々な端末で聴けるようにするための厄介さをなくするのだったら、少々お金を払っていいかとなったということが、Spotifyの最大の達成であるというFTの主張は本質を衝いている。
「リスナーが求めるものをすべて与えるために、資金力のある企業が巨大な損失をものともせずにサービスを続けている。その一方で、アーチストの取り分は雀の涙のままだ。消費者の観点からは、こんな素晴らしいことはない。おそらくオンライン上での著作権侵害の最盛期よりも視聴環境は勝っているはずだ。しかしこの状況は続かない(unsustainable)そして最終的にはテクノロジー陣営、レコード会社、そしておそらくは音楽家も応分な取り分を受け取る必要があることになる。未来がどうなるかは、いまだに明らかではない。しかし今のところ、ストリーミングサービスをきっかけに多くの若者(著作権侵害の常習犯も含めて)音楽に対してお金を払い始めているのは事実だ。これ自体、素晴らしい達成なのだ。」
繰り返しになるが、僕がこのサービスにあきるまで、このサービス状況が維持できるかどうかということが問題の本質なのだ。