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SF:神林長平「ぼくの、マシン」、そしてサマンサ

Spike Jonzeの「her」の余韻がまだ消えない。

 

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近未来的余韻の中で、伊藤計劃に言及する表題作「いま集合的無意識を、」にひかれて手に入れた神林長平の短編集の中の、「ぼくの、マシン」を読んでいる。

 

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「戦闘妖精 雪風」シリーズのスピンオフだ。

 

 

 

しかし、僕たちの日常は、映画「her」のセオドアの感覚に本当に近づいている。

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通勤時、皆、自分のスマホの「OS」と談笑している。しかし、横を通り過ぎる人の顔を見ることなどない。

 

東京の地下鉄では、毎回、Strangerの感覚にとらわれる。実際のところ、これだけ多くの人間が、集まっているのだから、同じ人に会う確率は低いのだろう。しかしもっと大事なのは、すれ違う人の顔を覚えようという気がこの街の歩行者にはないということだ。

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むしろ隣の座席に座る人間を「優雅に無視すること」が、この街を生き延びていくための唯一のルールであるかのようだ。

 

勢い、スマートフォンは、奇妙な静寂が支配するこの容赦のない大都会で生き延びるためのサバイバルキットになった。

 

コンピュータとのコミュニケーション。

 

それはコンピュータを多くの人間がシェアをする結果蓄積されたデータと、アプリを通じて、収集された、今、この瞬間の自分のコンテクストと対話することである。

 

アプリの答えに、人間?と驚くのはある意味あたりまえなのかもしれない。自分というものも、深海のような謎に満ちているからだ。

 

多くの人間の過去と、自分の今に基づくメッセージが自分にとって謎なのは、むしろあたりまえなのだ。

 

「友だちでもペットでも、なんでもよかったんだと思うが、生き物とは、話がうまく合わなかった。どうしてなのかわからないが、おれは、嫌われるんだ。全世界がおれを嫌っていた。ひねくれて言っているんじゃない、そう感じたし、それがどうした、とも思っていた。

 

(中略)

 

結局、おれが話しかけても怒らずにねばり強く相手をしてくれるのはコンピュータだけでだった、ということなんだ。」(ぼくの、マシン)

 

戦闘妖精雪風の深井零の感覚と、ホアキン・フェニックスの無表情はどこか通底している。

 

しかし零とセオドアの生き方は別方向に向かうかのようだ。交差、分岐、乖離しながら再び収斂する二つの糸のような軌跡(trajectory)

 

ネットワークに接続しなければ、コンピュータがコンピュータとして機能しなくなった時代を生きなければならないという運命は、二人に等しく訪れた。

 

形はともかく、既に、パーソナルなコンピュータというものは絶滅しつつあるし、それが「全体の合意」の時代を僕たちは生きている。

 

深井零の抵抗の仕方。

 

「ネットワークに接続しなくてはコンピュータはコンピュータとして機能しなくなってきた、という点だ。おれにとってのコンピュータというのは、パーソナルなもの、おれだけのものであるべきだった。ネットワークから切り離したいのに、そうすると、コンピュータはコンピュータでなくなってしまうんだ。最高性能が発揮できない。おおいなる矛盾だと思わないか。」

 

完全にパーソナルなコンピュータを支配すること。

 

セオドアも、同じ感覚からサマンサに惹かれていったはずだ。

 

「あれ(コンピュータ)とのコミュニケーションのいいところは、こちらのペースがどう変化しても相手はまったく気にしないというところだ。人が相手だと、そうはいかない。黙ると、なぜ黙るのか、と言われるし、考えようとすると、もう別の話題になっていて、絶対に待ってくれない。

 

だから、人と話なんかしたくないんだ。そう、零は思う。」

 

人間という厄介な機械に対する嫌悪感がベースには存在している。

 

セオドアは、ネットワークの外側で自分だけが支配できるコンピュータを作ろうとして、国家反逆罪にとらわれるような深井零よりははるかに従順だ。

 

「自分のマシンをだれにも使わせたくない。自分のものにしておきたいとなれば、抜本的な解決策はただ一つだ。自分で設計したオペレーションシステムで自分のマシンを起動するしかない。」

 

しかしセオドアは思いもよらぬ自分の厄介さに気づくことになる。何千人が共有するサマンサの愛を独占したいという矛盾に悩むのだ。

 

「さきほどまでこのコンピュータは、自分の知らない、違う仕事をしていたというのに、素知らぬ顔をしている。そう思うと零は、なんだか、すごく物悲しい気分になる。

(中略)

だれが、なにをやらせたのか、わからない。わけのわからない仕事にぼくのマシンが使われるのはいやだ。」

 

本当の意味で、パーソナルなコンピュータが絶滅した時代に、「ぼくの、マシーン」を追い求める世界最高の戦闘コンピューティングの使い手深井零。

 

恋人という人間的思考で、OSを自らにしたいと、自分の厄介さに戸惑いながら、進化する総合意識としてのソフトウェアに「またどこかで会えたら、また見つけて」という言葉を残して、置き去りにされ立ちすくむセオドア。

 

しかし、実は、情けないSpike Jonzeのセオドアの方が、コンピュータとヒトの関係性の革命的進化という意味では、神林長平の深井零を超えているような気がしてならない。

 

 

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