音楽の時間:ニューヨークの秋、そしてマラソン
耳にした曲のある旋律がとても心に残り、その部分を誰かに伝えたいと思うことがある。
年甲斐もなく、メロディとその元気の良さが大好きになったAKB48のヘビーローテションの終盤の「いつも聴いてた、Favorite Song、あの曲のように」というフレーズの展開が特に好きだった。
あと竹内まりやのセプテンバーの後半のあるコード進行とか、そんな引用したいところがたくさんある。
自分がミュージシャンだったら、そのあたり、自分の曲の中で、そのTributeというか引用もできるのだろうが、残念ながら、僕にはその才能はない。
何かそういう微細な流れのようなものを人に伝えたいという思いがある。
こんなことを言い出したきっかけは音楽じゃない。(いや一部は音楽かもしれない)
一昨日から読んでいた、村上春樹の「走ることについて 語るときに僕の語ること」がきっかけだ。
この本は、少々常軌を逸したといえるレベルの長距離ランナーである村上春樹のマラソンとトライアスロンの体験記である。走るということと、小説を書くということのアナロジーの部分に魅力的な部分が多い。
ただ正直、僕には、あまり得意な本ではなかった。60%ぐらいのマラソンやトライアスロンの記述の部分が、ランナーではない僕には、つまらなかったのだ。常軌を逸したTokyo Walkerなので、ただただ都会を歩き回る話ならば、テクニカルな部分も含めて、おそらく必要以上の感情移入ができたかもしれない。常軌を逸したランナーである村上は世界的な小説を書き、Walkerでしかない、僕は、彼の小説を読み続ける以外は、とりたてて誇ることもないという違いなのだ。
ただ、それはそれで、村上春樹だ。この本の中にも、「いつも聴いてたFavorite Song」のようなフレーズは埋め込まれている。
そこには、この本はほぼ退屈だったというのをためらわせる何かがある。
ニューヨークのシティマラソンに参加するという章で綴られるこんな文章だ。ニューヨークの秋の快晴の日の素晴らしさについて語る部分。(本当に素晴らしいんだ。)
ちょっと長いんだけど。
「ニューヨーク・シティ・マラソンを走るべくその街を訪れるたびに(たしか今回で四度目になるはずだ)、僕はヴァーノン・デュークの作曲した洒脱な美しいバラード『ニューヨークの秋』を思い出す。
あてもなく夢見る人々はただ
その蠱惑の光景にため息をつくだろう
それがニューヨークの秋
私はまたここに戻ってきた
(中略)
11月のニューヨークは実に魅力的な街だ。空気は意を決したかのようにきりっと澄みわたり、セントラル・パークの樹木は黄金色に染まり始めている。空はあくまでも高く、高層ビルのガラスが太陽の光を豪勢に反射させている。ブロックからブロックへと、限りなくどこまでも歩いていけそうな気がする。バーグドーフ・グッドマンのウィンドウには上品なカシミアのコートが飾られ、街角にはプレッツエルを焼く香ばしい匂いが漂っている。
レースの当日、僕はニューヨークの秋を、その「蠱惑の光景」を、自分の足で駆け抜けながら心ゆくまで味わうことができるのだろうか?それともそんな余裕なんてどこにも見あたらない、ということになるのだろうか?もちろん走ってみなくてはわからない。それがマラソンレースなのだ。」
メル・トーメの洒脱なボーカルも含めて、熱烈な長距離ランナーの読後感が聞いてみたくなる本なのである。