21世紀的ラジオ;「千葉次郎の挑戦」の凄さ
デジタル環境では、ラジオだとかテレビだと電子書籍だとかいう従来の区別はほとんど意味なくなるだろうなと思う。
技術的な視点ではまったくなく、それを丸ごと前提としたユーザーとしての感覚である。
コンテンツ供給が爆発的に増加したので、逆に、受け手である自分の時間の限界が明らかになった。何本のポッドキャストやブックマークされたコンテンツが積読になっているだろうか。何本の映画が、見もせずに、蓄積されていることだろうか。
とりわけ視力や気力が落ちる年代には、テレビでも、映画でも、本でもなく、新しいラジオが必要になってくる。しかし、このラジオも昔ながらのラジオではなく、そこにはテキストと動画がまじりあった統合的な視聴環境としてのラジオなのだ。
最近めっきり長い動画を見なくなってきてはいるが、4,5分で圧倒的な感情を喚起するものもある。そういった場合には、このフォーマットのパワーは絶大だ。
フェイスブックなどを見ていたら、岩手県の音楽教室のCMがシェアされていた。
スマホで見て、PCで見てと何度も見てしまった。
家族にも自分のスマホで見せてしまった。そういう喚起力のあるコンテンツだった。
コンテンツと出会う環境がリニアではなくなってきている。
そういったことを21世紀的ラジオと呼んでみたりする。