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Jay Zと孫正義はどんな話をしたんだろう(日米人間力対決)

Jay Zのアーチストを解放するというマルクス主義的熱情に偽りがあるなんて言いたいわけじゃない。ただ、彼が、そこらにいる現実から遊離したスーパースターでないことも明らかだ。

 

Tidalにつながる買収だって、思いつきだったわけではなく、Spotifyやら、ソニーや、スプリント(というかソフトバンクの孫さん)と水面下で多くの交渉の末に行われたということが、毎日少しずつだけどいろんな記事を読み続けているとわかってくる。

 

デジタルの破壊力によって、アーチスト、レコード会社はどんどん追い詰められているのは事実だし、その追いつめているSpotifyAppleにしても、巨大な投資に見合う将来のキャッシュフローが本当に生まれてくるかについては半信半疑というか、リスク含みであることは百も承知である。いつかそうなるという幻想を先食いするという資本主義の原理が先端的に実現しているのが、今のストリーミング革命と小難しいことを言ってみたくもなる。

 

Jay Zと孫正義がなぜ交渉テーブルについたのか。

それは今、自分が音楽関係で何にお金を払っているのか考ればすぐにわかる。

 

ポッドキャストやサウンドクラウドを聴くために、毎月、僕は馬鹿にならない額のお金を、孫さんの会社や通信キャリアに支払っている。別にスマートなデザインのiPhoneが持ちたいからじゃない。それを使って、コンテンツを楽しみたいからだ。

 

だから、唯一、消費者があまり文句も言わずに、お金を払っている連中が、お金を取りにくくなっているコンテンツ関連企業をサポートするというのは満更おかしな話でもない。どこまでいっても、バブルという気がしないでもないが、日本でも通信キャリアが闇雲にコンテンツ関連会社にお金を出している。これにも社会的に一定の意味はある。(出し手にとって意味があるかどうかは定かではない。)

 

ゴールドマンザックスやKKRでのキャリアのある女性のプロフェッショナルを片腕に、M&Aや企業経営での辣腕ぶりを発揮するJay Z。

 

普通は、こんな立場には決してならないのが黒人ミュージシャンの宿命だったはずだった。いつも利用される側。映画のキャデラックレコード終盤でのあの老いた黒人ミュージシャンの突き刺さるセリフ。

 

His job is to make money off you. You’re from Mississippi. I thought you would have known that.

 

白人に金儲けのだしにされ続ける宿命を、このスーパーラッパーはなぜ、超えることができたのか。

 

それはヒップホップという分野特有のDNAによるものだというFTのコラム。

 

Jay Z関連の記事をNYT, FT, WSJなどいろんなところで読んでいるが、FTがなかなかに深くて面白い。NYTはさすがに上から目線ではあるものの、なかなか渋い決め方をするんだが、FTは、文化と経済の間の微妙なバランスを見事にとった視点が絶妙なのだ。

 

書いたのは、The Big Payback: The History of the Business of Hip-Hopの著者で、ニューヨーク大学の先生であるDan Charnas。

 

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/4282afc8-ab9f-11e4-b05a-00144feab7de.html#axzz3WJMlYrwD

 

 

黒人ミュージシャンといえば、搾取される側というのがお決まりだったはず。ところが、このヒップホップアーチストは、見事な経営手腕を発揮する。これは他の音楽ジャンルではめったに見かけない光景だ。

 

Jay Z個人の才能だけというよりは、ヒップホップという分野の持つ独特なDNAの存在が無視できない。

 

彼らには経営手腕を自ら身に着けなければならないという歴史的宿命があった。1950年代にはブラックミュージック全体の環境が、とんでもなく敵対的でまともな人間が入り込める余地などはなかった。

 

1980年代にディスコ音楽などのブームが起こった時でも、ヒップホップは相変わらずならず者の音楽として敬遠され続けた。

 

この分野で大手レコード会社と初めて契約が締結されたのは1980年代の半ばになってからだ。

 

ファッションも含めた若者文化にヒップホップが大きな影響を与え始めたころにも、大手のアパレル会社は遠巻きにしていた。(まあいろんな意味で怖かったんだろうな。)だから、アーチストたちが自分でブランドを立ち上げるしかなかった。90年代にはいる頃には、さすがにスローな大企業もこのブームが無視できないことに気付いたが、とうに後の祭りだった。

 

こういった普通の企業には、市場知識も信用もなかった。だから、当時、登場していた起業家たちと手を組まざるを得なくなった。そんなさきがけに、Sean “Diddy” Combsがいる。

 

ヒップホップの世界には、彼のことを金儲けだけの最低の屑野郎だとののしる向きも多いらしいが、詐欺師や犯罪者がうようよするこの世界の中で、ビジネスセンスを磨いていった先駆者のひとりであることに間違いはない。

 

(FTの週末の人気コラム レストランでインタビューが彼を取り上げているので、あとで読んでみることにしよう。)

 

ヒップホップの事業家たちにとっては、芸術と商売の分離なんて、望んでも得られない、ブルジョアジーの偽善に過ぎなかった。

 

ともあれ、こういうヒップホップの事業家たちが、過去数十年間に生み出した一種の精神性にはきわめて興味深いものがある。そこには超資本家的側面と、最下層の声を理解する側面の逆説的共存である。

 

(Empireのルシウス・ライオンが魅力的なのも、このあたりの事情をよく咀嚼して人物造形しているからだろう。)

 

最近になると、ヒップホップ文化を表の文化として受け入れられた。その影響もあって、こういった逆説的な魅力的人材の数は少なくなってきている。

 

とはいえ、ヒップホップの過去、現在が本当に私たちに教えてくれるのは、ビジネスにおける人間力(Human Capital)の価値とでもいうようなことだ。ヒップホップ起業家の多くは、住居であれ、教育であれ、社会に対する希望であれ、最低のところからスタートせざるを得なかった子供たちであるということをしみじみと思い越す必要がある。だ。

 

人間力の強さでは日本一ともいえる孫正義が Jay Zと交渉のテーブルについたところを想像するだけで、ちょっとわくわくしてしまった。)