アイザックソン、ジョブスを語る
スティーブ・ジョブスの第一巻を読んでいる。この伝記で一番読みたいのは、iPadのユーザーエクスペリエンスをスティーブがどのように、狂気の完璧主義で作り上げていったかのミクロのプロセスである。その意味ではLisaとかのくだりは少々まどろこっしい。200ページぐらいのところだが、まだ最後のページに向けてのPageTurnerドライブがかかる一歩手前な感じだ。
朝いつものように新聞をブラウジングしていたら、この本の筆者のIsaacsonにNYTがインタビューをしていた。
本の中ではアップルに対する配慮もあって書かなかったという、ジョブスが次になにを考えていたか。
彼は、テレビと教科書と写真を再創造しようとしていた。テレビの現在の複雑なリモートコントロールはありえないと言っていたらしい。
たしかにいまだにテレビのユーザーエクスペリエンスは、信じられないくらいにわかりにくい。実際買った時の設定のなんともいえない面倒臭さは、家電メーカーの怠慢に他ならないと思う。
そして、ジョブスの天才性は、他のどの天才に似ているかという質問に対しては、ディズニーがジョブスに一番近いと答えている。ディズニー、ピカソ、ボブ・ディラン、ジョブスに共通するのは、自分たちの産み出したものに感情的な繋がりを作り出す上での天才。
ArtとEmotionとTechnologyを束ね合わせる天才性をIsaacsonはジョブスの中に見出した。
彼の悪名高き癇癪や傍若無人さについて。それは、すべて自分たちのプロダクトに対する完璧性の追求に由来するもので、それなしには、アップルの中に、ここまでロイヤルなチームは生まれなかっただろうと語っている。
今回の執筆過程で、ジョブスは一切内容に介入せず、Isaacsonが客観的かつ包括的に自分の人生を見つめることができるように配慮したという。ジョブスは、自らのObituary Writer、すなわち歴史に対して接するような真摯さで彼に接したのだろう。
さて、今日は雨だから、ゆっくりと家のソファーに寝転がってスティーブ・ジョブスの続きを読むことにしよう。