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UKガーディアン 「原子力発電の費用はそもそも計算不能」

原発をめぐる問題を読み解いていくのはとても難しい。それは技術をめぐる是非の問題ではないからだ。そこには、経済や政治が抜きがたく結びついているので、科学の名を持って語られるロジックに、不純なもの(=政治的なもの)が混じり合ってしまう可能性があるからだ。失うものを有する人たちは、こういった議論の混乱を意図的に作り出そうとする悪賢さもありそうだから、始末に負えない。

今回の問題もグローバルな思惑や、さまざまなロジックが時に重なり、時に対立しながら、込み入った錯綜状態になることが予想される。

そんな中で、原子力発電は低コストという主張に対して反論を試みる、再生可能エネルギーよりの意見。
ガーディアンのThomas Noyesが、原子力は低コストどころか、計算不能という記事を書いている。
(今回はかなり圧縮、要約、意訳しているので注意してください。どちらかと言えば論旨だけを追っています。)

The incalculable cost of nuclear power
原子力の費用は計算不能

http://www.guardian.co.uk/commentisfree/cifamerica/2011/apr/03/nuclearpower-japan?CMP=twt_gu
多くの反温暖化陣営の人々が、原子力を支持する理由は、その低コストにあった。代替エネルギーとしての石炭はもっと環境や人体に与える悪影響が深刻だという考え方である。

原子力が低コストであるという主張に対する反論は次のように行われる。

原子力の費用と便益がそれほど魅力的ならば、なぜそれに魅力を感じる投資家がいないのか。それは、風力や太陽光発電の場合には、なんとか自力で近い未来に費用曲線が損益分岐点にまで低下してくることを少なくとも予想することができる。これに対して、原子力は、政府保証を取り付けないと、投資家がまじめに取り扱うようなリスクの水準に達しないのだ。

超過費用の発生、廃棄物処理、耐用年数の延長などだけでも十分に厄介だ。

しかし最大の問題は、今回のような災害時に発生する巨大リスクだ。あらゆる投資家がその巨大さに怯えてしまうのだ。

大規模災害はめったに起こらない。しかしいったん起こってしまうと、危険なだけではなく、とてつもないコストを発生させることになってしまう。ちなみに福島原発の閉鎖(entombing)に関する当初の推定費用は120億ドルだった。そしてこの中には日本政府が東京電力の国営化を考えざるを得なくなるような、他の負債の発生を想定していないのである。

数年前、GEのCEOのJeff Immeltが、米国において、政府の関与や、資金調達における政府保証なしに、米国で商用原子力発電所を建設しようとは思わないという発言をした。リスクが発生するリスクは低いと言われても、生じた際のリスクが大きすぎて、うまくいったときのリターンがどれだけ高くても、投資家はそのリスクを取りたいとは思わないということである。

確かに代替エネルギーとして身近な石炭の利用が、健康や環境に甚大な悪影響を及ぼすという主張は正しい。ハーバードの研究者たちの調査によると、米国で石炭を発電に利用した場合の費用を年間1750億ドルから5230億ドルと見積もっていた。中国の場合なら、健康や環境保護という観点が緩いか、まったく欠落しているので、実際の費用はこの数字よりははるかに高いものになるだろう。たしかに大気汚染を減らし、地球の気候を守るためには、石炭の利用を減らすことがもっとも重要であることを否定しようとは思わない。

ただここで確認しておきたいことがある。

石炭の総費用はたしかに高いかもしれない。しかし原子力の総費用を、意味のある形で、計算することは不可能なのである。投資家は、どれだけ潤沢な資金を持っていたとしても、間に合わないような超過費用が膨れ上がるリスクに直面するのだ。廃棄物処理の真のコストもいまだによくわかっていない。数十年先の話ではあるが、廃炉decommissioningの費用もさらによくわからない点である。災害時の原発トラブルに伴うコストは、GEのような巨大企業ですら単独では吸収しきれないレベルの話なのだ。

これほどの不確実性に直面して、どうやってまともな投資リターンを考えることができるだろうか。

皮肉屋たちは、それでも原子力の方がは生可能エネルギーよりも実際的practicalであると主張する。

より大きな視点から見なければならない。大災害を引き起こさず、投資家を道連れにもしないエネルギー資源の開発を主唱する際になぜ謝らなければならないかがわからない。私がともに仕事をしている再生可能エネルギー賛成派は、全てのエネルギー源の完全なコストやメリットをあえて論じようとする。原子力の賛成派は、よろこんで、彼らと同じような基準に立つべきである。

より広い視点からこの問題を見るべきだろう。大災害を引き起こすこともなく、投資家を地獄の道連れにもしないエネルギー資源の開発を主唱している側に、なぜ弁解がいるのだろうか。再生可能エネルギー賛成派は、自分も含めたすべての代替エネルギー源のすべての良さ、悪さを喜んで議論する用意がある。原子力賛成派の人たちも、少なくとも、再生可能エネルギー賛成派と同じ土俵で議論をする姿勢だけは示すべきだろう。(以上)