ラジオについて
震災を契機に明らかになったことは多い。
いくら効率性を追求しても、過剰な電力消費がなければ、何もできないこと。
情報通信も、危機には弱い。
自分たちの経済生活が、はりつめた効率性に過度に依存しているということ。
個人的には、もう一つ。ラジオがとても大切なメディアであるということだ。
以前から、ラジオ派だった。中年になると、携帯ラジオを聴いていると、クラシックを聴いていようが、ニュースを聴いていようが、競馬ですか、株ですかと、揶揄されがちである。
中年男に、それが嫌でラジオを持たない人もいるらしい。
他人の意見は、意図的に無視する人生を歩んできたぼくは、小学生の頃からいつもラジオと一緒だった。筋金入りのラジオ派だ。
今回の震災時も、携帯ラジオを持っていたので、リアルタイムで情報を得ることができたので、時々の判断が適切になった。
でも情報性だけではない。
ラジオは、リアルタイムで、自分の側に誰かがいるという意識を与えてくれる。さらに、テレビが、震災の画像情報を繰り返す中で、多くの人が心理的に鬱状態になっていくのに対して、いち早く、落ち着いた、日常的な言葉や、音楽を回復して、多くの人の心の危機も救った。
昨日の情熱大陸は、TBSの午後の番組キラキラのパーソナリティ小島慶子の311がテーマ。
小島慶子にフォーカスした番組取材中に、震災が起こり、結果、番組は、311から1週間の小島慶子とラジオをハイライトすることになった。
この時間帯、仕事場で、聴くこともあるが、どちらかと言えば、文化放送の大竹まことの語りの方を好んできた。
向こうっ気の強い、小島慶子は、どちらかと言えば苦手なタイプだった。
ただ、この番組の中で、感情をむき出しにしながら、ラジオというものの使命をひた走る小島は格好良く、彼女のひたむきさに撃たれた。
ラジオという一番好きなメディアを、情熱大陸という大好きなテレビ番組が取り上げてくれたことが嬉しかった。
常にリスナーの側にいるというラジオの意味は、復興プロセスではとても重要になるはずだ。