21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

3月15日(火)東京 曇り

(720am)
東京も余震が続く。計画停電、公共交通の運行状況が低水準。テレビ放送がすべて被災地の悲惨さを報じるという異常環境の中で、直接の被災地ではない場所に住む住民の心理にも大きな影響を及ぼしている。

精神衛生上、自分にかかわりのある部分にだけ集中することにした。

特に、ツイッターやテレビで、福島原発の動向について一喜一憂するのをやめた。

情報を最大限集めて、自ら判断することに現状での意味はない。

現状は、政府、東京電力自衛隊などの判断に委ねざるを得ない。ぼくはむしろマスコミ等の批判とそれに伴う世論というものへの配慮が、結果責任だけを追求する鋭角な判断と行動を損ねることを恐れる。

今、マスコミが何を言おうと、この環境で危機管理にプラスの影響を与える可能性は少ない。いきおいパニックを生み出すだけだ。

彼らが確信犯的に生み出した帰結に対する結果責任を事後的に問うこと、それが政治ということである。

ぼくは、停電情報、列車運行状況だけにフォーカスして、パニックに陥らぬようにし、前を向いて自分の人生を生きようと思う。

(1154 am)
全体の交通状況を踏まえているわけではないが、少なくとも、南北線都営三田線白金高輪までしかいかないこと、終日この状況が変わらないことだけは社内アナウンスや駅員の説明でわかった。

電力不足というものが、ここ10数年の未曾有の利便性というものを否定しているということだけは明らかだ。都心まで何十分という謳い文句で販売された比較的郊外からの、一斉通勤というモデルが現時点では崩壊しているわけだ。

この電力状況を前提とするならば、一斉通勤というモデルが変化せざるを得なくなるのだろう。

NHKのニュースは、福島原発問題。この問題は、伝えている人間も、受領している人間も、中途半端な知識しかないということだ。

さらに専門家と呼ばれる人々も、原発の危機管理の総合的専門家などという人はいるはずもなく、それぞれの領域の中では正しい発言を繰り返すことが、一般の人間にとって一番重要なこと、自分にとってそれがどんな意味を持つかということへのシンプルな回答が知りえないという結果につながり、フラストレーションと混乱を招くことになる。

Evacuation zoneに住む人々と、それ以外の人々にとって必要な回答は、当然ながら、同じではない。

Aという地域の人には大変だが、Bという地域の人は大丈夫ですよというメッセージは公共放送という立て付けでは難しい。

政府のパターナリズムによる情報統制がうまく行かないのは、こういった複数の当事者に対する妥当なメッセージを出すことが極めてハードルの高い課題だからだろう。