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フィナンシャル・タイムズの元特捜部長インタビュー

フィナンシャルタイムスのMure Dickie署名で、元特捜部長の宗像紀夫氏へのインタビューを中心とした、現在の、日本の特捜の有する権限の大きさについての批判の記事が掲載された。

サンプロの際の、宗像氏の居住まいの悪さを思い出した。検察というものに対する、限りない誇りと、現在、検察で生じている劣化の間で揺れていたように、ぼくには見えた。

フィナンシャル・タイムズ向けのインタビューでもその揺れは見受けられる。官僚の保身という批判に対しては、否定しながらも、現在のやり方のまずさに対する不快感は隠さない。

小沢氏の説明会見を地上波はどれひとつとして実況中継せず、人々はUSTなどインターネットに頼ったというこの未曾有の事件。

元大物特捜部長のこういった発言はいったい何を物語るのだろうか。


Powers of Japan’s prosecutors questioned
http://www.ft.com/cms/s/0/6e5c6bb8-0751-11df-a9b7-00144feabdc0.html

現在、民主党幹事長、小沢一郎の側近を調査している東京地検特捜部というエリート集団の持つ権力を誰よりも良く知っているのが、宗像紀夫である。

彼もまた、1980年代の有名な汚職捜査を指揮する過程で、拘留期間の延長や、厳しい尋問を最大限活用する力を享受したはずだからである。

宗像氏やその同僚が、多くの大物政治家の逮捕の中で有名になる一方で、今回は、小沢氏の側近の逮捕が、検察の権限の強大さについての不安が、注目されることになった。

検察の権限に対して、裁判所が監督能力を有効に発揮していないため、事実上、検事が容疑者をその裁量で、何ヶ月も拘留することが可能なのである。このことは、無罪のものですら、心理的に自白に追い込まれる可能性があるとして、多くの批判がある。

一方、主要メディアは、捜査当局がリークする尋問内容をいちはやく報道しようとするため、容疑者の名前は、往々にして訴追されるはるか以前に、かなり黒い印象を与えられてしまう。

今回の場合、特捜部の側が、説明責任を果たそうとしないため、小沢氏の支持者や政治評論家から、検察が制度改革を追求しようとしている新しい民主党政権の力を殺ぐために、官僚体制の一部門の観点で活動しているという疑念が強まっている。

宗像氏はこういった見方に対しては否定した。自分の経験では、誰をターゲットにするかについての特捜の判断を決定づけるのは、政治ではなく、証拠だったと述べた。

しかし彼も、現在、検察が力を持ちすぎており、その権限に対して今より多くのチェックが必要であることは認めている。例として、拘留を承認する際の裁判官からのチェックを指摘した。

メディアもまた、リークや、検察庁に付属する記者クラブを通じて与えられる一面的な説明に依存するだけではなく、捜査をよりバランスの取れた方法で、報じるべきであると述べた。さらに続けて、彼は以下のように言った。

「検事は大きな力を持っている。被疑者、容疑者、弁護士は、皆、それに比べれば弱いものだ。今後は、マスメディアは、弱いものの側に立つべきだろう。」(以上)