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ジョセフ・ナイの普天間問題についてのコメント(NYT)

朝のヘラルド・トリビューンの論説欄を見たら、ジョセフ・ナイ普天間問題にコメントしていた。

グーグルニュースで検索したら、朝日新聞のウェブサイトにこんな報道があった。それ以外はさほどひっかかってこなかった。

http://www.asahi.com/international/update/0107/TKY201001070476.html

「「ワシントン(米政府)の一部は、日本の新政権に対して強硬な姿勢をとりたがっているが、思慮が足りない」などとして、忍耐強く交渉にあたるよう求めた。

 ナイ氏は「個別の問題よりも大きな同盟」と題する論文で、「我々には、もっと忍耐づよく、戦略的な交渉が必要だ。(普天間のような)二次的な問題のせいで、東アジアの長期的な戦略を脅かしてしまっている」とした。

 東アジアの安全を守る最善の方法は、「日本の手厚い支援に支えられた米軍駐留の維持」だと強調。「外圧」によって鳩山政権を切り捨てれば、普天間問題で主張を通せても、より大きな犠牲を払うことになる、とした。 」

内容は、これだけである。今後、もっと報道されていくのかもしれないが、比較的、バランスを取ってはいるが、かなりCriticalなロジックを内包したジョセフ・ナイをこの程度の要約で片付けてしまうことがちょっと心配になったので、粗訳してみた。(原文のURLも添付するので、是非オリジナルをチェックしてください)

米国側が今回の一連の動きに何を感じているのかということを、(当然、米国の国益ということが前提になってはいるものの)率直に示されている。さらに、日本の官僚主義の悪さについても、最後に、きっちりと批判している。こういったロジックがニューヨークタイムス論説で公表されていること、そのロジックをぼくたちは、今後の外交というものを考える上で、より丁寧に読み解いていくべきじゃないんだろうか。


日米同盟は、基地移設問題を超える重要性を持つ。(ジョセフ・ナイ
http://www.nytimes.com/2010/01/07/opinion/07nye.html?ref=opinion&pagewanted=print

東京から見ると日米関係はまさに危機に直面している。

足下の問題は、沖縄にある米軍基地の移設交渉をめぐる外交上の膠着状態だ。単純な問題のように見えるかもしれない。しかしこれは米国の最も重要な同盟国の1つとの間に深刻な亀裂(rift)を招きかねない。

私が10年以上前にペンタゴンにいたときに我々は沖縄に軍を配備する負担を減らす計画に着手しはじめていた。日本の米軍の4万7000人の半分以上が沖縄に駐留していた。

そして普天間基地には、宜野湾という人口密集した都市に近いという固有の問題があった。

何年にも及ぶ交渉の結果、日本政府と米国政府は、2006年に基地を沖縄のそれほど人口が多くない地域に移動させ、2014年までに、8000名の海兵隊を日本からグアムに移転させることに合意した。

この計画は、昨年夏に、日本国民が、過去半世紀この国を支配してきた自民党に代わって、民主党を政権につけたため突如危機に瀕することになった。

ペンタゴンは、鳩山首相が、10年以上もかけた日米両国の交渉結果であり、今後の海兵隊の予算に大きな影響を及ぼし、再編を余儀なくさせるようなこの合意を破ろうとしていることを心外にに思ったとしても当然だ。

ロバート・ゲイツ国防長官は10月の訪日の際に、不快感を隠さず、計画の再検討を、「非生産的」と呼んだ。

11月に来日の際に、オバマ大統領は普天間問題を検討するための政府高官による協議に合意した。しかしその後、鳩山氏は、再移転についての最終決定は少なくとも5月まで延期すると発言した。

ワシントンの中に、日本の新政権に対して強硬姿勢を取りたいと考えているものが存在することは、驚くにはあたらない。しかし鳩山氏をアメリカ政府と、アメリカ人に対して大幅な譲歩を行った場合には連立政権からの離脱ありと脅す、ちっぽけな左翼系政党(参議院における過半数が彼らとの連立に依拠している)の間の板ばさみにすることは我々にとって賢明とは言えない。さらに問題を複雑にするのは、普天間の将来に対して沖縄県民の意見が分かれていることである。(contentious)

鳩山氏が最終的に基地移計画に関して譲歩した場合でも、我々は、日本に対してより忍耐強く、戦略的なアプローチを取る必要である。我々は、いわば、二次的な問題のために我々の東アジアにおける長期的戦略に脅威を与えている。

新しい政府が提起しているのが普天間問題だけではないことにも留意すべきだろう。新政権は、より対等な同盟関係、中国との関係の改善、東アジア共同体の設立などの発言を行っている。しかしこれらのどれもが内容が明らかとはいえない。

私が1995年にペンタゴンの東アジア戦略報告の策定に関わった際には、この地域には米国、日本、中国という3つの主要な政治権力が存在し、日本との同盟を維持することが、中国がどんどん大きくなる環境自体を形成していくという現実認識から出発した。我々はWTO加盟を促すという形で、中国を国際システムの中に統合したいと考えた。しかし我々は、将来のより強大化した中国が攻撃的になる危険に対するヘッジが必要にもなったのだ。

1年半に及ぶ広範な交渉の後に、米国と日本は、我々の同盟関係は、冷戦時代の遺物というよりは、この地域の安定性と反映の基礎であるということに合意した。ビル・クリントン大統領と橋本龍太郎首相が1996年の東京宣言の中でこの点を確認した。この「統合するが、ヘッジもする」という戦略によってブッシュ政権時代も継続してアメリカの外交政策が導かれてきた。

今年は、日米安全保障条約の50周年である。今回の基地をめぐる論争が、双方に相手に対する厳しい感触や、さらには日本における米軍兵力の削減につながるのを放置するならば、両国ともに大きなチャンスを逃すことになる。長期的な難問である中国が存在し、核武装した北朝鮮が明らかな脅威を提起しているこの地域における最良の安全保障は、ひきつづき米軍の存在であり、日本が維持費用に対する寛大なサポートをしているのだ。

時折、日本の官僚は、自国の官僚主義的な膠着状態を解決するために、暗黙に外圧を歓迎することがある。しかし今は、このやり方は妥当ではない。ここで米国が新しい日本の政権を軽んじるならば、日本国民の間に敵意を生み出すことになる。すると普天間での勝利は犠牲が多くて引き合わない勝利となってしまう。(以上)