21世紀ラジオ (Radio@21)

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「政治利用」の政治利用

大竹まことのゴールデンラジオのPodcastを愛聴している。その中の、週刊朝日の山口編集長の回に、「天皇の政治利用」における官僚の巧妙な詐欺的情報操作の可能性について話していた。今回のマスコミの取り上げ方が腑に落ちないぼくには、興味深い内容だった。今回、山口さんが自分のブログで、それを詳述しているのをツイッター佐々木俊尚さんがRetweetしていた。ぼくも早速Retweetしたが、Retweetだけでは満足できず、ブログにまとめてみようとおもった。

http://www.the-journal.jp/contents/yamaguchi/2009/12/post_93.html

山口さんは、西松建設事件のときと同じように、「天皇の政治利用」問題が理解できないという。彼は、今回の「1ヶ月ルール」をミスしたのは、事実を詳細にたどれば、官僚の不手際だったことは明らかだとする。それを官僚が政治利用というような本来利用すべきではないセンシティブなテーマを濫用して、責任回避をしているに過ぎないと断罪している。
「新聞報道によると、そもそも中国側から「国家指導者」クラスの来日を打診されたのは前政権下の2009年の初めだったという。外務省は当然、これに対する準備と情報収集を始めたはずだ。もし、始めていなかったら職務怠慢というほかはないが、〝優秀〟な外務官僚がそんなミスをするはずはない。周到な準備の中で、やがて習近平国家副主席が来日することはつかめたはずだ。習が次期主席の最有力候補であることは、ある時期以降はチャイナウォッチャーの間では常識になっていたからだ。もし知らなかったとしたら、外務省の職務怠慢である。知らないはずがないのである。そこで、次に外務省がやるべきことは「前例」のチェックだ。

 調べればすぐに分かることだが、1998年に胡錦濤国家主席が副主席として来日した際、天皇陛下と会見している。となれば、次期主席を確実視される習副主席の来日に際し、陛下との会見要請があるのは当然、予測できただろうし、外務省としてもその準備を始めたはずだ。なにごとも根回し優先の霞が関で、ここまで簡単に素人でも予測できる事態を前に何もしないはずはない。当然、この段階でどのレベルかは不明だが、内々で宮内庁にも意向を伝えていたはずである。もし伝えていないとしたら、それこそ職務怠慢である。

 宮内庁側も、当然こうした動きは察知していなければならい。本当に天皇陛下の体調をおもんぱかるなら、それに影響を与えそうなあらゆる情報を収集していなければならない。とくに外務省の動きは、「要人来日=陛下との会見」と直結しているだけに、常に連絡を密にすべき相手である。中国側から要人の来日が打診された年初の段階から、両省で連絡を密に取り合い、情報共有していなければならない。していないとしたら職務怠慢である。

 新聞報道によると、最終的に中国側から習の来日を伝えてきたのは10月だったという。あわせて天皇陛下との会見を希望していることを伝えられたそうだ。しかし、そんなことは外務省も宮内庁もとっくに知っていなければならない事項だ。なにしろ、素人のわたし(山口)が考えても容易に想像できることだから。もし、知らなかったとしたら、その職に留まる資格はないといえる。」

役人はここから、既存ルールに現実をうまくあわせなければならないのに、今回は外務省も宮内庁もそれを行わなかった。

羽毛田信吾宮内庁長官によると、来日1カ月を切った11月26日になって〝初めて〟外務省から「内々の打診があった」という。これを信じろというほうが無理だ。羽毛田は、それまでまったく知らない寝耳に水の事態だというのだろうか? 外務省となんら情報共有していなかったのだろうか。だとしたら、これも職務怠慢というほかはない。」

「もし、羽毛田が宮内庁長官として本心から今回の一件が天皇の政治利用であり、あってはならないことだと考えるなら、身を賭してでも会見を阻止すべきである。辞表を叩きつけて、その場で新聞でもテレビにでも出まくって、自らの主張をプロパガンダすればよかったのだ。それをせずに、長官の職にとどまり、小沢に批判されても「辞めない」と言い張るのは、結局、すべてが保身だったと言われても仕方あるまい。」

山口さんは、しかし、こういった最低最悪の官僚的からくりとある意味で、売国的保身を見抜けないマスコミを嘆くことしきりである。

今回の政権交代で、国民は、民主主義を(無意識に?)に選択した。今回の選択の直接の帰結は、適切なジャーナリズムの必要である。国民の選択の前提には、適切なジャーナリズムによって獲得された情報が必要である。過度の単純化で俗情にこびることなく、直面している現実の絶句しそうな複雑性を有権者につきつけることが、ジャーナリズムの使命なのだと思う。