21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

ぼくにとってのツイッター

津田大介さんのツイッター社会論を読んだ。得意の自己流で始めたせいで、いまだに、140字べた書きする以上のことができていないし、他の人達のReply Retweetやハシュタグがついた文章の文法も呑み込めていない。

つきつめると、短い気軽なブログと、リアルタイムのウェブヘッドライン的な使い方をしているというところだろう。

しかし、いろんな人が自由に使い方を考えることができるというのがこのウェブサービスの一番良いところのような気がする。

既存のSNSは承認機能の敷居の高さがあって、登録はしたもののあまり使っていない。その意味では、ツイッターのほどよいオープンさと、ほどよい無関心さが極めて心地よいところだ。

iPodや、ツイッターやブログなど新しいウェブサービスを使ってみると、自分の志向性などがわかってきて面白い。

まず、最初にわかったのが、自分が、ながらができないということだった。iPodを聞きながら、メールを書くとか、本を読むとか、翻訳をするとかがまったくできない。

こういう体質だと、必然的に、ひとつひとつのメディアを使う時間のすみわけが必要になってくる。

朝起きて、ノートPCをつなぐと、まず、いくつかのメールの確認をする。その次にするのが、最近だとツイッターをあけることにある。まだぼくにとってはツイッターはリアルタイムヘッドラインの要素が強いので、朝方だと、Botが送ってくる米国のニュースのヘッドラインだとか、フォローしているネットセレヴたちのつぶやきを確認するところから始まる。ただ、フォロー数が一定量を超えたところから、全部を確認するのは不可能になった。分類をする機能も出来上がってきていうらしいが、そこまで使いこなすほどの粘着性がないぼくは、とりあえず数枚でまあいいかとあきらめることになる。

そういった英語のつぶやきにまじって、日本語のつぶやきがぽつぽつと入り始める。ぼくはかなり早起きなので、オフィスに向かって家を出るぐらいまでは日本語のつぶやきはあまり入らない。

携帯電話は、あまり好きじゃなく、基本的な電話機能か、数少ない携帯のメルアドを知っている人たちからの緊急連絡ぐらいしか使わないので、iPhoneみたいなスマートフォンで常にWired状態を保ちたいとはいままでは思ったことはなかった。

ただ、ツイッターという新しいP2Pも包含するコミュニケーション形態を体感するには、使ってみようかなと思ったりしている。

ただ今ひとつ踏み切れないのは、さきほどのながらができないぼくの場合、新しい端末を使い始めれば、間違いなく有限な僕の時間を食うことになってしまうからだ。

地下鉄に乗ると、混雑しているうちは、iPodでアップデートしたニューヨークタイムスやウォール・ストリート・ジャーナルのPodcast、TBSや文化放送の番組、文科系トークラジオなどを聴く。移動中のタクシーや混雑した地下鉄などがぼくにとってのiPodの最適な使い場所だ。

混雑が解消してきて、座れると、ぼくは、本を開くことになる。座れる公共交通機関は、家での長風呂と同様、最適な読書空間だ。

オフィスにくれば、ツイッターを開けたままで、ノートPCとデスクトップを使い分けながら、文書作成を行う。iPod禁止されてるわけじゃないが、テキスト中心の作業のときは、それだけに集中することになる。

ランチタイムに、デスクで弁当を食べたりするときは、ツイッターの出番だ。タイムラインが流れるのを見ながら、つぶやきにリンクされたページを読むというのは、サンドイッチ公爵じゃないけど、なかなかツイッターな時間である。

ここしばらくはモバイル端末で、ツイッターをチェックしたり、投稿したりという全身All Wiredみたいな生活はしたくない。

PCを開けた瞬間に目の前に現れるつぶやきを眺めながら、自分もつぶやくというあたりが当面のぼくのツイッター活動になるんだろう。