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北京アンダーグラウンドミュージック事情(Carsick Cars)

北京の大学生たちを中心に、急速に、パンク、ポストパンクのようなアンダーグラウンドシーンへの人気が高まっているらしい。

その中心にいるのは、23歳の、華奢な青年だ。

名前はZhang Shouwang、彼の率いるバンドはCarsick Carsだ。

ユーチューブで、彼の、演奏を聴くことができる。

http://www.youtube.com/watch?v=Pz6M20GN8Nw

共産党中央本部の別名でもある「中南海」というのが、これまでのところの彼の大ヒット曲である。ただ共産党讃歌を歌っているわけではない。中南海というのは中国の煙草のブランドで、彼は煙草の歌を歌っている。

「僕が吸うのは中南海だけ。中南海なしには死んじまう。僕の中南海を吸ったのは誰?」

ウォールストリートジャーナルのJanis Fooという記者が、Rocking Beijingというタイトルで、北京のアンダーグラウンドシーンを描きながら、中国の文革チルドレンのちょっと斜に構えた心象風景を面白く描いている。

http://online.wsj.com/article/SB124831869681774897.html

活動を始めて4年目のZhang ShouwangがリーダーであるCarsick Carsは今や、北京のアンダーグラウンドミュージックシーンの押しも押されもせぬ中心だ。しかも、すでに、Sonic YouthやGlenn Brancaなどと一緒に世界ツアーを行っている。ニューヨーカー誌のアート欄の批評家であるAlex Rossらによって、激賞されるまでになっている。

彼らが満員の観衆に向けて演奏している北京のD-22というクラブは、3年前にアメリカ人のMichael Pettisによって創設された。今や、このクラブは北京のクラブシーン、カウンターカルチャーの総本山とも言うべき場所になった。北京のカウンターカルチャーは、ありきたいりの音楽や、Mandopopと呼ばれる、商業主義的な音楽に飽き足らない北京のエリート大学生たちの間で急速に広がっている。

ただ、中国の音楽シーンは、その経済ほど劇的な成長を遂げているわけではない。アンダーグラウンドシーンで成功しているといっても、バイトなしで食えているミュージシャンはほんの一握りだ。ファン層も、まだそれほど大きくはなく、北京のエリート学生たち中心だ。ただ、こういった少数の若者が、明日の流行を作り出していくのは間違いない。21世紀が、経済に限らず、音楽でも、中国の世紀となる可能性もある。

Carsick Carsのようなオルタナティブ系のバンドを演奏させるようなクラブは4年前にはほとんどなかった。ただ最近のCarsick Carsのスケジュールは殺人的である。ボーカル兼リードギターのZhang, ドラムのLi Qing、ベースのLi Weiseは、超過密日程をこなしている。D-22でのライブは、欧米ツアー、中国23都市でのツアーの合間を縫って行われている。

2007年に1枚目のアルバムCarsick Carsを発売した。今年の6月には2枚目の”You Can Listen, You Can Talk”がMaybe Marsレーベルから発売された。デビューアルバムよりは、アグレッシブさは薄れたが、かなり洗練されてきている。ポストパンクのThe Pixiesや、グランジNirvanaの影響が大きい。時に、Zhangの歌い方は Velvet Undergroundsの伝説のカリスマLou Reedを思わせる。

Carsick Carsの登場によって、北京のアンダーグラウンドシーンが一気に活発化した。

D-22やMaybe Marsのオーナーでもある、北京大学の金融専門の教授のMichael Pettisが最近のカウンターカルチャー事情を語っている。

5年前に、自分が教えている学生たちの中で、カウンターカルチャーに関心をもつものなどいなかった。でも、今は、4分の1の学生がクラブにいったことがあり、5から10%が、音楽への知識も豊富で、その趣味も洗練されてきている。

この状況はさらに加速すると、彼は付け加えた。

Pettisは、現在の中国を60年代のアメリカと比べている。60年代のアメリカは、ボブ・ディランや、ジミ・ヘンドリックスをうみだした。ただ北京のアンダーグラウンド世代には、ウッドストック世代が共有していた政治的、音楽的団結心のようなものは存在しない。20年前の天安門事件の革命歌 ”Nothing to My Name“を歌ったCui Jianのような存在はいない。

Zhangは、僕ら若い世代は政治のことには関心がないと、ためらいがちではあるが、流暢な英語でインタビューに答えた。僕らが大切に思っているのは、自分の音楽とまわりの友人たちだけだ。北京のロックシーンの中心人物は、革命ではなく、日常生活を歌うのだ。

Carsick Carsの最初のヒット曲で、北京のロックシーンの聖歌となったのは「中南海」(Zhong Nan Hai)だ。中南海は、共産党本部のことも意味するが、煙草のブランドでもある。Zhangは、これは煙草の歌だという。

Zhangが「僕が吸うのは中南海だけ。中南海なしには死んじまう。僕の中南海を吸ったのは誰だ?」と歌うと、D-22に集まった観衆たちは、いっせいに煙草をステージに投げつけるのだ。

この歌詞に代表されるような、ちょっと虚無的な態度は、60年代のフラワー世代というよりは80年代のパンクに似ているようだ。このニヒリズムは、伝統的な音楽体系や、商業的成功への彼の無関心さにもあらわれている。どうせ金儲けなどできないんだから、新しい音楽やサウンドを作り出せばいいんだ。

金儲けには関心がない、Zhangが北京では数少ない、バイトなしでも暮らしていけるミュージシャンなのは少々皮肉だ。彼は、Beijing Institute of Technologyの光電子工学専攻の学生だった。去年、大学を辞めた。多分戻ることはないだろう。

北京の若いアーチストたちを糾合するような政治的テーマはない。この世代の特徴を一言で言えば、親たちの世代の富への執着と上昇志向への愛憎なかばする感情だろう。この国に今存在する世代間のギャップは60年代のアメリカに似ている。

1966年から10年間続いた文化大革命という不安の時代を生き抜く過程で、彼らの親たちは、経済的成功に執着するようになった。さらに80年代以降の世代は、中国の一人っ子政策の中で、生まれたので、親たちから保護され、精神的にもかなり安定している世代だと北京のミュージシャン兼批評家のYan Junは言う。

Zhangは言う。自分たちは、これまで教え込まれてきたことが、本当に正しかったのかということに疑問を持つようになっている。社会主義、資本主義、リッチになるということ、愛国心、そして日本人を憎むということなど、すべてだ。こういう懐疑が、新しい社会を作ろうという意欲につながるわけではない。僕は政治家でもビジネスマンでもない。自分にとって大切なことを自由にやりたいだけ、それだけなのだと、彼は言う。

既存のポップへの否定は、過去30年間の開放政策の結果、中国の文化を覆い尽くしている商業主義への嫌悪から派生してきている。だから彼らはロックを選んでいるのだ。

北京のアンダーグラウンドミュージックは、音楽の伝統の欠落という、空白のもたらす自由さと広く材料を求める折衷主義という特質を持っている。ただ彼らのインスピレーションの源泉は、未だに、西洋音楽だ。

Zhangは、Steve Reich, Philip Glassなどのミニマリストや、60年代の伝説のバンドVelvet Undergroundからの影響が強い。Carsick Carsが切り開いた土壌の上で、若いミュージシャンは中国的なものからもインスピレーションを得るようになってきている。

北京は、まだニューヨークでもベルリンでもない。ただその文化的影響はどんどん拡大してきている。20年後、歴史家は、彼ら若者たちが切り開いたものが何であったのかを語ることになるはずだ。(以上)

北京のアンダーグラウンドシーンを、アメリカの新聞で知り、ユーチューブでライブを見て、コメントを日本語で書く。なんて時代だろう。

近所のファミリーマートに寄ると、レジの近くに、なんと中南海の煙草が積まれていた。

なんて時代だろう。