ニューヨークタイムスに、ブロガー夢の跡というような記事があった
ワールドカップ予選で遅くまで、起きていたせいで、今日は、顔中に、強い日光を浴びるまで眠っていた。窓を開けると、近くの中学校のグランドから、野球の試合の応援が聞こえる。
うるさいと言えばうるさいが、夏の匂いを感じられるといえないこともない。
眠気覚ましで、濃いコーヒーを入れて、PCを開いた。
ニューヨークタイムスのテクノロジーという欄をクリックすると、ブログを半年ぶりぐらいに再開したぼくには、ちょっと皮肉な、ブロガーたちの夢の跡のような記事があった。
http://www.nytimes.com/2009/06/07/fashion/07blogs.html?_r=1&ref=technology
普通の人に、世界の注目や、経済面での自立という高い夢と希望を与えたブログの世界も、見渡せば、残骸の多さに驚くほどだという。はじめるのも簡単で、維持するのもそんなに困難じゃないはずの、ブログがなぜレストランより長持ちしないんだろう。
この記事は、ブログの検索エンジンのテクノラティの2008年の調査を引用している。同社がトラックしているブログは全体で1億3300万件あるそうなのだが、そのうち、過去120日間でアップデートされたのは、749万件だけだという。つまり、ブログ全体の95%が放棄状態なのだ。
これがブロガーたちの見果てぬ夢の残骸なのである。
テクノラティによると、インターネット上には常時700万から1000万のアクティブなブログが存在するらしい。さらに、ページビューのほとんどを生み出しているのは、このうちの5万から10万程度にすぎないという。
ほとんどのブログの平均的読者数は1人というのが、ブログコミュニティのお気に入りのジョークらしい。
ブログから離れていくにはさまざまな理由がある。まず、思ったような関心も、金銭的対価も得られなかったという人たち。次に、やっぱり、仕事や家事が忙しすぎて、だんだん、ブログにかまけはじめるケース。こういった人たちの中には、よりお手軽な、TwitterやFacebookなど別のフォーマットに流れていっている。
さらに、成功したことで、結果ブログを閉鎖した女性たちもいる。成功がまねいた、望ましくない関心や、プライバシーへの侵害に嫌気をさしてのことだ。
しかし、まあ、少し、引いて見るならば、まだ生まれてまもない場である。波が引いたり寄せたりする中で、砂浜の形が変わるように、何度もその形を変えていくのだろう。
アメリカはそうだとして、日本は、どうなのだろうか。昨日ぐらいから、濱野智史さんという若い情報社会論の研究者の「アーキテクチャーの生態系」(NTT出版)という本を読み始めた。
日本で人気のある、2チャンネル、ミクシー、ニコニコ動画などのウェブサービスの発展を、それぞれのアーキテクチャに絞りこんで分析した力作だ。そして、ユーザー数を拡大した、ウェブサービスが、そのアーキテクチャの中に、日本的特性を織り込んでいることを明らかにしている点が斬新な切り口だった。
こんどの僕のブログは僕の夢とこれまでの失望とを踏まえて、どこまで延びていけるだろうか。