21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

詩と史の時代 (冲方丁「光圀伝」)

明暦の大火の時のような大量の焼死者を出さないようにということで江戸幕府によって隅田川にかけられたのが、両国橋だという。

 

日本橋から、この橋を超えると、江戸ではなく、川向うと呼ばれることになる。

 

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たしかに両国橋を渡り切ると、空の広さを実感する。空の広さが、東京という街の表層の皮一枚下の江戸という時代の空気をたっぷり感じさせてくれるようだ。

 

吉良邸、回向院等の名所旧跡があるからというよりも、このなんとも言えないたっぷりした空間が、この街の歴史の香りを心行くまで吸い込むことを可能にする。

 

以前に比べると、めっきり眼が悪くなってきた。以前の無際限の読書を可能にしていた、身体的資源の制約を意識せざるを得なくなってから、オーディオ版の読書の時間が増えてきた。

 

しかし、黙読に比べれば、物理的にはかなりの時間を必要とするように、「本を聴く」ということも、そんなに簡単でもない。

 

「本を聴く」上で適、不適な環境があることにも気付かされた。読むことに比べて、本を聴くことには、集中を保つという点で、難があった。

 

一見すると最適なように見えて、実は、「本を聴く」という行為は、もっともナガラに向いていないのだ。

何かをしながら、「本を聴く」と、明らかに歩留まりが悪い。

人間は、何かを聴くということに対して、それほど長時間集中できないことも明らかになってきた。寝ながらなどというのは、もってのほかで、読書よりも100倍薬効のある睡眠薬のようなものだった。

 

ようやく見つけた「本を聴く」最適な場所が、路上だったのである。

 

もっともナガラに適しないのが、歩くときである。

 

最近は、ゲームをしながら、スマホを見ながら歩く人もいるようだが、これは、危険極まりない。

 

安全性と言う面で言えば、決してすすめられるものではないのだが、周りに十分に気を配るという前提のもとでは、これが、一番長く、集中度を保つことができる方法なのだ。

 

この週末は、本所あたりから、隅田川沿いに、蔵前橋、厩橋と歩き、西浅草、東上野とぶらぶら歩いた。

吉川英治の「忠臣蔵」は随分前に、聞き終えていて、志ん生、円楽の「中村仲蔵」も何度目かになっていたので、最近は、冲方丁の「光圀伝」を聴くことが多い。

 

江戸を歩くには、これもなかなか優れた物語である。

詩によって、天下を取ると心に決めた光圀が、水戸家の世子足るべき自らの不義に悩みながら、烈しく生きる姿を、この作家は、簡潔で径直な文章で描き出している。江戸幕府が武断から文治へと移行する直前の時代が舞台だ。

 

shoten.kadokawa.co.jp

綱吉の時代への移り変わりを見届けた頃に、光圀は亡くなっており、赤穂事件は彼の死後のことなのだが、武断から文治への移行期を生きた、彼の人生の中には、由比正雪の乱という形で、その後江戸幕府の業病ともいうべき浪人問題が先駆的に起こっている。

 

厩橋を渡り始めたあたりで、尾張徳川家の叔父義直との間で交わされる史書をめぐっての熱い対話の場面になった。

 

日本に史記のような史書のないことを嘆き、自ら史書編纂を試みた義直が、詩歌のみならず、史書に対する関心を深めつつある鋭敏な甥に対する深い愛情をこめて語るこんな言葉を、広々とした空の下、気宇壮大な心で、大川の上を吹き渡る、何百年という歴史を見て来た、風に吹かれながら聴いた。

 

なぜ史書を自らの手で作ろうとするのかという光圀の問いに答えて義直は言う。

 

「人はみな、生きてこの世にいるのだ」

と言った。いきなり年齢が十も二十も若返ったような精気を発散させていた。

 

「史書に記されし者たちは、誰もが、生きて、この世にいたのだ。代々の帝も、戦国の世の武将たちも、名を遺すほど文化に優れていた者たちも、わしやそなたと同じように生きたのだ。史書こそ、そうした人々が生きたことを証す、唯一のすべなのだ。」

(略)

 

「この世は決して無ではない」

 

義直が宙を仰いで言った。信仰の題目でも唱えているような熱のこもりようだ。

「人が生きたことすべては、無ではないのだ。」

 

そして、伯父が死の床で、光圀の出生の謎を語りつくした後で、遺言のように残す言葉。

 

「史書に記されし者たちは全て、生きたのだ。わしやお前が、この世に生きているように。彼らの生の事実が、必ずお前に道を示す。天道人倫は、人々の無限の生の連なりなのだから。人が生きる限り、この世は決して無ではなく、史書がある限り、人の生は不滅だ。なぜなら、命に限りはあれど、生きたという事実だけは永劫不滅であるからだ」

 

この後、徳川光圀が行った大日本史や、その根本に流れる尊王思想が、日本の近代を大きく旋回させていくことになる。

 

詩と史によって天下を取ろうとした光圀を題材に選んだ、この冲方丁という作家もまた一個の異才と言わざるを得ない。

 

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元禄デジタル散歩のすすめ(志ん生の中村仲蔵を聴きながら俎板橋跡渡る)

ITだとか、インターネットだとか言うと、若者のため、家に引きこもりがちな人用などという偏見がいまだにあるようだが、電話は若者用だとか、外出嫌いの人用などという発言はもはや見当たらない。技術の導入には時間がかかるというか、人々の意識は、現実にかなり遅れるということなのだろう。

 

実際、デジタル技術というものは、もはや、引きこもりがちな若者のためだけの道具ではない。

 

この連休、どこに遠出をするのでもなく、地下鉄に乗ったり、散歩したりしながら、だらだら過ごしている。その道連れは、iPhoneだ。

 

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もはや携帯電話というか、スマートフォンというものは、電話というカテゴリーでは括り切れない。まさに掌の中に、高性能コンピューターがある。僕が、幼児の頃、フェリックスの冒険という漫画があった。黒猫のフェリックスが、黄色い万能鞄を持って大活躍する話だ。最近の人なら、ドラえもんのポケットということになるのだろう。この万能鞄というのが欲しくてならなかった。自動車にでも飛行機にでもなる鞄。

 

人生において必要なものが、小さな鞄の中にすべて入っているのだったら、どこにでも自由に行けると幼心に思ったのを強烈に記憶している。どことなく、テクノロジーというのはそういう方向へ向かっているような気もする。

 

ただ、欲望の方は、昔に比べれば、等身大のところにおさまってきているらしく、それほど様々な用途に使っているわけでもない。

 

グーグルマップで場所を確認し(どうもアップルの純正マップは、使い始めの頃の使いにくさがトラウマになってiPhoneなのに全く使っていない)、地名の由来を検索をした後は、ほぼiPhoneは昔のiPodになる。ほとんどが音を聞く装置になるのだ。

 

取りためたPodcastや、最近ならRadikoで過去の番組を聞くことも多い。

 

しかし、休日となると覿面、Audibleの利用度があがる。アマゾンプレミアムのおまけのような3か月無料につられて、いつのまにか、有料会員になってしまった、本のオーディオ版サービスである。

 

www.audible.co.jp

 

初めの頃は、その品ぞろえの薄さに、そろそろ解約しようかと思っていたぐらいだったのだが、東京を意識的に散策するようになって、その限定的な品ぞろえが、東京散歩には悪くないことがわかってきたのだ。

これまであまり読むことも、聴くこともなかった、時代小説や落語の分野のコンテンツが案外いいのである。志ん生、金馬、談志、志ん朝、円楽などの落語やら、志ん朝が読み上げる鬼平犯科帳やら。

 

最近、気に入っているのは、吉川英治だ。版権がうるさくなくなっているせいか、三国志宮本武蔵など、かなりの大作が聴けるようになっている。

 

本所吉良屋敷や、泉岳寺、聖路加あたりの浅野屋敷跡などふらふら歩きながら、とうとう吉川の忠臣蔵を聞き終えたほどだ。ある意味、年寄臭いことおびただしい。

 

自動車に引かれないように気をつけるという前提のもとではあるが、これが、なかなか至福の時なのである。

 

散歩していた場所と、その時聞いていた件が、面白いほど鮮明に結びつくのである。歩いていた場所に関する場面を合わせて聴くなどという几帳面な性格ではないの流れている件と歩いている場所はかなり食い違っている。

 

大石内蔵助たちが切腹した細川屋敷あたりで、吉良亭討ち入りの場面を聴いていた時には、吉良側の若い茶坊主の牧野春斎がけなげに闘い、倒れる件で、思わず、涙が出た。

 

討ち入りを果たした後に、休憩を求めたが、拒否された回向院あたりから、赤穂浪士たちの足どりというか(方向)を雑にたどりながら、二の橋あたりでは、冲方 丁の光圀伝で、幼い光圀が、父親から試されて、夜、罪人の首を引きずりながら歩く場面に引き込まれた。

 

 

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東京散策というのはおそらくさまざまなアングルがあるとは思うのだが、やはり、この元禄という時代は、なかなかに、爛れた面白さがある。光圀も、五代将軍綱吉の成立の一端を担っており、ひいては、赤穂事件の遠因ともなっていくわけなので、歩けば歩くほど、聴けば聴くほど、散策の醍醐味が高まってくるのだ。

 

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昨日は、忠臣蔵の国民的人気の原点ともいえる仮名手本忠臣蔵の五段目、憎まれ役の斧定九郎のキャラクターをそれまでの場繋のような平凡さから、派手ないでたちに変え、地味な五段目を、一つのショーストッパーへ変えた元禄の名優中村仲蔵についての落語2本、講談1本を聴きながら、皇居の平川門から、俎板橋跡と通って、途中、中入りで神保町あたりで昼飯を食ってから、結局は護国寺近くまで歩いた。

 

白状すると、今回は、いつもの行き当たりばったりではなく、若干、知恵もついて、平川門のあたりは、昔護持院が原と言われた場所であることを調査済みだった。

 

この護持院というのは、綱吉の母親の桂昌院の肝いりで、隆光という坊主に建立させたお寺である。隆光が桂昌院をそそのかして出来たのが、稀代の悪法、生類憐みの令というのが、歴史的に正確かどうかは別としても、世間の語り継いだ歴史である。

 

その護持院あたりから、まず、三遊亭円楽、次に、古今亭志ん生、最後は、講談の一龍齋貞心の「中村仲蔵」の聴き比べ、歩き比べと洒落こんだわけである。

 

火事の都だった江戸で、この護持院も焼け、その後は、護国寺に吸収されたという歴史がある。そのあたりを手繰りながらの散歩だった。

 

途中、喫茶店で、Kindleで、吉川英治忠臣蔵を読み直し、Audibleで志ん生の口跡を堪能し、グーグルマップで現在値を確認し、グーグルで俎板橋の由来を検索しと、まさに、アマゾン、グーグル、アップルの三強の囚人と化したような一日だったが、なかなかに楽しいアウトドアだった。

 

これも単純なアウトドアというよりは、デジタルを使った新時代の引きこもりと言えないこともないか。

 

神田で蕎麦を食いながら、iPhoneで、アマゾンのベゾスがほんの少し持株を売って、1000億円超の資金を手に入れ、宇宙ビジネスに投資するというニュースを読んだ。

 

たしかに、引きこもりがちの老人たちまで、わけもなく散歩させるほどの力がありそうな会社らしいと妙に腑に落ちた気がした。

 

 

 

 

 

金剛寺坂を歩いてみると(永井荷風「伝通院」)

春日通の竹早高校の向かい側の細道を下った。このあたりでは有名な安藤坂に概ね平行した道である。

 「金剛寺坂 文京区」の画像検索結果

散策の時に、飯田橋の方へ向かうときに抜ける細い道で、金剛寺坂という名で呼ばれている。

 

坂を下り始めると、唐突に「金剛寺坂の笛熊」という言葉が頭に浮かんだ。

 

このあたりで生まれた、散策の達人の永井荷風の「伝通院」という小品の中の一節だ。

 

永井荷風 伝通院



金剛寺坂の笛熊さんというのは、女髪結の亭主で大工の本職をうっちゃって、馬鹿囃子の笛ばかり吹いている男であった。(伝通院)

 

 

荷風が幼年期にこの界隈で出会った、少し変わった、隣人である。

 

この小品は、水道端やら、春日通やらをほっつき歩くことが多い私のような者には、なんともたまらない文章に満ちている。

 

明治43年というから1910年、107年前の作品である。

 

書いた当時、31歳だった荷風が、幼年時代を過ごした小石川界隈のことを懐かしんでいる。

 

彼はこの金剛寺坂近くで生まれ、十二、三の頃までこの丘陵地帯に暮らした。散策してみるとよくわかるのだが、後楽園から大塚、池袋に抜けていく、春日通というのは、いわゆる馬の背のような地形で、東西南北、富坂、安藤坂、播磨坂など、どこから登っても、足や心臓が達者じゃない向きには、なかなか手強い傾斜なのである。小石川は坂の街なのだ。

 

「伝通院」に戻ると、20歳前というから官立高等商業学校(今の一橋大学)に入学した頃か、2年程度で中退したころか、荷風は、ことあるごとに、自らの幼年時代をいとおしむようにこのあたりを散策した。

 

清語を勉強していた、荷風らしく、小石川の高台を歩きながら、「何とはなく、いわば興亡常なき志那の歴代史を通読した時のような淋しく物哀れに夢見る如き心持」を覚えたという。

 

志那の歴史の興亡とは、大袈裟なと思うのだが、この小品を読み、今を歩く私には案外、なるほど、と思わされるところがあった。

 

寺院と称する大きな美術の製作は偉大な力を以てその所在の土地に動かしがたい或る特色を生ぜしめる。巴里にノオトル・ダアムがある。浅草に観音堂がある。それと同じように、私の生まれた小石川をば(少なくとも私の心だけには)あくまで小石川らしく思わせ、他の町からこの一区域を差別させるものはあの伝通院である。滅びた江戸時代には芝の増上寺、上野の寛永寺と相対して大江戸の三霊山と仰がれたあの伝通院である。

 

伝通院の古刹は地勢から見ても小石川という高台の絶頂でありまた中心点であろう。小石川の高台はその源を関口の滝に発する江戸川に南側の麓を洗わせ、水道端から登る幾筋の急な坂によって次第次第に伝通院の方へと高くなっている。東の方は本郷と相対して富坂をひかえ北は氷川の森を望んで極楽水へと下って行き、西は丘陵の延長が鐘の音で名高い目白台から、『忠臣蔵』で知らぬものはない高田の馬場へと続いている。(伝通院)

 

伝通院は、数年前に、改修工事が施されて、きれいになった。しかし、改修の時に、長い歳月の埃と一緒に、時の陰翳も、洗い流されてしまったようで、今では、増上寺、寛永寺と並び称せられた霊性は残念ながら感じることはできない。閑静な住宅街であることが至上の価値になっているということ自体、決して住民にとっては悪いことではないのだろうが。

 

何事も、坂道を登り切って、しばらく下ったあたりが、穏やかで、幸福なのかもしれないと、土地の歴史に思ってしまう。

 

こんな場所を散策していると、早逝した伊藤計劃が傑作『虐殺器官』の中で、描いたような近未来のガジェットが欲しくなってしまう。



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人気の多い通りに出ると、視界が唐突に騒がしくなった。存在しない看板で副現実(オルタナ)が溢れかえったのだ。

 

観光都市であるプラハは、とにかくオルタナが充実している。店という店に、街路という街路に、これでもかというくらいの情報が貼りつけられている。(中略)

 

 計画を立てなければならない。

 

 ぼくはタッチボードを探した。オルタナを充実させているプラハの歩道は、そこらじゅうボードだらけだ。キーボードのイラストが書かれた合成樹脂の板が、いたるところで観光客に顔を向けている。ぼくはボードの前に立って、それを三秒間見つめると、コンタクトが絵をインタフェースとして認識した。キーボードを叩くようにイラストに描かれたキーに触れていく、キーを「押した」手ごたえのような贅沢を求めない限り、本物のキーボードは必要ない。赤い線で抽象化されたキーが描かれていた板でじゅうぶんだ。

 

 視線検出で文字を見つめるだけで入力可能なデバイスも一時期もてはやされたが、一文字一文字視線を移動させるより、指でキーを押したほうが断然スピードが速かったために、視線入力はあっという間に廃れてしまった。

 

 プラハの観光情報をカットアウトするフィルタを起動させて、USAにアクセスする。

虐殺器官

 

小石川界隈をこのオルタナというウェアラブルコンタクトレンズを装着して歩き回ったならば、そこいら中に、歴史的記述が現れることだろう。永井荷風の生家の画像、その生涯、家族写真、そして、音声で流れる「伝通院」の一節等々。

 

そして、一つの場所に、貯め込まれているのは一つの時代に限らない。場所ごとに、時の地層が、散策者の身体を年輪のように取り巻くのである。

 

金剛寺坂の笛熊さんという、馬鹿囃子の笛ばかり吹いており男や、踊りもすれば落語もする按摩の休斎、背中一面に般若の文身(ほりもの)をしている若い大工の職人やら、幼年期の荷風の目をくぎ付けにした異形の市井の人々が、時間の地層の中からぼんやりと現れて来るのが感じられた。

 

二十歳の荷風は、小石川の坂道を上りながら、さらさらと砂のように崩れながら、時の地層に同化し、失われていく、自らの記憶とその記憶の中の人々を心から悼むのである。

 

 

東京を歩くというのは、歩く土地、土地で、地層から立ち上る、異なる時代の年輪に、何重にもその身を包まれることなのだ。

 

笛熊さんの横を、赤穂藩の若侍との牛天神での束の間の逢瀬のあと、若い女が泣きながら、安藤坂を下って行くのが見える。

 

Technologyで、一瞬に情報を獲得するというよりは、無駄に、何度も、同じ場所を訪れ、時代時代の地霊とすれちがうという構えこそが、東京のような古い都市の散策にはふさわしいのかもしれないと思った。

23℃ 晴れのち曇り 112.031

 

 

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