W杯アジア予選 ミャンマー戦2:0で初勝利
アジア予選というのは、なんとも言えず辛い。今回は格下中心の一次予選だ。日本のサッカーの未来というようなことを考えると、この試合の中で、選手、チームは何を得て、どう成長すればいいのか。
ミャンマーは、それぞれの選手のやる気、覚悟と、選んだ戦術のバランスがあまりとれていないチームだった。堅守速攻というには、ゾーンディフェンスで、大迫、南野、中島、堂安に十分なスペースと時間を与えていた。
長い芝で土砂降りの雨をたっぷり含んだピッチでは、ボールも止まりがちで、いつものパスサッカーというわけにはいかない。
それでも前半は、自力の違いを見せて、中島、南野が早々と得点を決めて、どこまで点差を広げられるかだけが課題になった。
しかし後半は、おそらくは、放送における興行的価値の関係も強く反映した久保の投入、武蔵のワールドカップ予選初参戦など期待感があったが、ある意味落ちついたミスを犯さないバランスの取れたサッカーで危なげなく戦った。
ただやはり、最後はリードされている中で、キーパーやフィールドプレイヤーが複数ピッチに寝転んでしまうという珍しい展開になった。心だけははやるものの、肉体は放棄試合状況だった。
敵の意図せぬ試合放棄もあって、鈴木武蔵もあまり目立った活躍をする機会が奪われてしまった感が強かった。
サッカー 日本代表VSミャンマー 2-0 ハイライト 2019年9月10日
日本は今、アジアの各国のサッカーのレベルを引き上げるための役割を果たさなければならない。それに疑問を呈する気持ちはない。でも、日本のサッカーあるいはアジアのサッカーが欧州の最前線と伍してやっていけるようになるには、日本のサッカーのレベルをさらにあげていかなくてはならない。
そのために何ができるのか。土砂降りのピッチを見ながら、その難しさを痛感した。
JFAがやるべきことは、このアジアという地域の先頭責任を果たす国として、次に監督の育成をはかるべき段階にあるのではないのだろうか。費用を一部負担しても、各国の代表監督に日本人を送り込んでいき、日本のライバルを自ら作り出すという試みのイニシアティブをあえて取るべきではないのだろうか。
その意味で、西野さんのタイ代表監督というもののアジアサッカーの発展に対する意義は限りなく大きい。
タイ代表・西野朗監督が初勝利、右サイドにティーラトンの「奇策」実る。攻撃スタイル貫きインドネシアを圧倒
サッカークラブは博物館
クーパー・シマンスキーの「世界最悪のビジネス」という文章はこんなぎょっとするような文章から始まる。
サッカーはビッグビジネスでもないし、いいビジネスでもない。それどころかビジネスですらない。
実際、サッカー人気というものは直接にサッカークラブ人気、サッカークラブの好調なビジネスにつながるわけではない。そのあたりは、応援しているクラブの今後を考えるうえでもとても重要な要素である。
最近は、この難しい環境の中でも我らがコンサドーレはさまざまなところで企業努力をしている。
その一例は、グッズビジネスのてこ入れである。
有名なデザイナー相澤陽介さんがコンサドーレのクリエイティブデザイナーに就任したことがその代表例だ。
https://www.gqjapan.jp/culture/sports/20190330/yosuke-aizawa-consadole-sapporo
イングランドのプロサッカーの世界でも、こういったグッズビジネスや公認スポンサーなどというビジネスモデルが発達したのは最近のことらしい。昔は、広告効果などというものが一切頭にないクラブ側はスポーツ用品の会社にレプリカユニフォームを作ってもらって、お金を払ってたぐらいだという。
そういう諸々の経営音痴の一翼をしっかりと担っている監督も、さほど真面目に決定されてるわけではなく、その時、暇で、仕事をしていない白人の元サッカー選手に声がかかることがほとんどだったという。今も、トップクラブを除いて、かなりの部分、当てはまるのではないか。
しかし、一流選手必ずしも一流選手ならずというのは、選手経験のほとんどないモウリーニョの実績をみれば、既に自明なのだが、サッカー界全般で見れば、そんなものらしいのだ。
監督に関する話で、この本の中に引用されている言葉で一番気に入っているのがACミランの黄金期の監督アリゴ・サッキのこんな言葉だ。
騎手になるために馬だった経験は必要ない。
こんなビジネスとしてはいたって心もとないサッカーだが、他に比べて本当にダメなビジネスかというと、単純にそうは言い切れない。
先ほどの90近いイングランドのプロクラブのうち半分近くが破産申請したことがあっても、廃部になるクラブは少なかったという歴史がそれを物語っている。プレミアでダメになるとチャンピオンリーグに降格し、コストを削減してやり直す、それがだめならリーグワンと、降格を繰り返すことで生き延びることができる。そしてやり直して昇格すれば、また資金もついてくることになる。廃部になっても、まったく同じメンツでスポンサーを変えて出直すことも多い。この降格、昇格というメカニズムは面白い。
実際、J2に降格した柏がまたネルシーニョの指揮下、猛然と、昇格レースを独走している。また昇格、即優勝的なことが起こりそうな勢いだ。
こんなやり方は他のビジネスでは成立しない。トヨタが業績が悪くなったので、給料の高い従業員の首を切って、能力の低い人間に入れ替えて、品質の悪いクルマで再生をはかるということなど考えられない。消費者が黙っていないからだ。しかしサッカーの場合は、この消費者がこの在り方を許容するのだ。
監督に代わって、クラブの金銭的命運を握るのがGMだ。ではGMにMBA出身の手堅い経営者を持ってくればうまく行くかというとどうもそうはいかないらしい。彼らが対峙して競争しなければならないライバルが一筋縄ではいかないからだ。
過剰な値段で選手を買わないように手堅い経営をしていても、裕福なオーナー企業や石油成金たちが、有無を言わさず、高値で才能を買い漁るとすれば、手堅く経営していても、うまくいくとは限らないのだろう。クラブを支えるファンベースも、手堅さを求めているわけではない。安定した業績を挙げているが、五年連続3位で、スター選手もいないというフランチャイズに対して、ブーイングこそすれ、称賛などはしないのだろう。
サッカーはやはり普通のビジネスではないのだろう。
だからこそ、収益を重視したやり方をするビジネスマンが経営すると、サッカーがだめになるだけでなく、ビジネスとしてもダメになる傾向もあるという皮肉な結果になってしまう。
とはいえ、マンチェスターユナイテッドのように上場もできるようなビジネスとしても成功している企業があるんだから、我がコンサドーレも、それをベンチマークにしたらどうかと考えたが、マンチェスターユナイテッドの成功はまさにマンチェスターユナイテッドだけに例外的に当てはまる当てはまるのだという一文によって現実に引き戻された。
その意味で収益と成果のバランスを、ものごとがよく分かったファンベースと、移籍市場でのマエストロ的才能たちが支えている、オリンピックリヨンというのは、ベンチマーキングの眼の付け所としては悪くないようだ。
オリンピックリヨンをベンチマーキングするのもいいけれど、本質的に、地域クラブを経営したり応援するものとしてのしっかりとした覚悟と諦念を促す、こんな文章を最後に引用しておきたい。
クラブはむしろ博物館のようなものだ。地域社会への奉仕を目的としながら、財政的にはそれなりに健全な公益団体のような形で生き残ればいい。控えめな目標に思えるが、これを達成できるクラブもほとんどない。
Bury FCの破綻を見ていても、代々のオーナーの不適切な財務処理などが、弱小クラブの財政を一気に危機に陥れてしまったのを見ると、この言葉の重みは大きい。
それにしてもBury FCの未来はどうなるのか。新生Bury FCを生み出そうとする力はそれがなくても、既に疲弊しているこの地域に残っているのだろうか。
リロケーションサポート 秘密兵器鈴木ウリセス
マネーボールという本はほんとに面白かった。オーランドのアスレチックスのGMビリー・ビーンは野球の世界で、それまで良い選手を選ぶ上で、基準とされてきた多くの常識を、すべて見直し、あらゆるデータとゲームの勝敗を結び付けて、もっとも、勝ちにつながる新しい基準を見つけだした。有名なのが、それまで完全に無視されてきた出塁率という数字を取り上げ、その、勝敗の相関性の高さから、この数字が高い、どちらかと言えば地味に見える選手(だから割安な選手)を見つけ出して、採用し、低コストで目覚ましい実績をあげた。
この考え方は今では野球だけではなく、サッカーなど多くのスポーツでのデータ分析の隆盛に繋がっている。
サイモン・クーパーとステファン・シマンスキーはこの流れをサッカーの世界に応用している。
この本の中で、無駄遣いをせず、安定的に優れた実績を出したサッカークラブとして、イングランドのノッティンガムフォレストとフランスのオリンピックリオンが取り上げられている。ノッティンガムについてはThe Damned Unitedという映画があってとても面白かった。
この二つのチームに共通するのは、無駄遣いをしないということだった。
Clip from The Damned United - Clough talks to his Derby team before facing Leeds
このあたりはコンサドーレのような地域の小規模チームがベンチマークとして追っかけても良いクラブ経営なのだと思う。
特にオリンピックリヨンは、サポーターも比較的中流で穏やかで、スター選手をやたらとありがたがり、負けると罵声を浴びせるようなプレミアリーグのファンとは一線を画している点が、クラブ経営を円滑に行う上でのプラスに働いたという。
このあたりは、負けた時でも、ブーイングをせず、選手の努力を讃える「優しい(甘い?)」コンサドーレファンに共通するような気がするので、じっくりと追っかけてみたいと思った。
手始めに、移籍市場で無駄使いをせず、良い買い物をするためのガイドラインのようなものをクーパー等があげているのを引用しておこう。
特に、ビッグクラブが移籍金や給料に大枚を払う癖に、見知らぬ土地にやってくる選手の相談に乗るスタッフを用意するというようなことに金を払うことはしないというあたりが面白かった。逆に、そのあたりのリロケーションサポートをしっかりやることで、ブラジル選手の定着率を高めたオリンピックリヨンのスタンスがとても参考になる。
このあたりの呼んできた外国人に対する過剰なまでのオモテナシという日本の特異な文化は、ことサッカーに関しては、うまく機能する可能性があるはずだ。
メディアへのエクスポージャーも高い、ブラジル人通訳の鈴木ウリセスを擁するコンサドーレなどはこのあたり先見性があるのかもしれない。
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