サッカークラブ消滅 Bury FC
ブログを書き始めた頃は、書き続けるにはどうすればいいかということを一番に考えた。
第一に、誰かが読む価値のあるものがいい、
第二に、世の中に溢れかえっているテーマでない方がいい、
第三に、書き続けられるだけの題材が得られるものがいいと。
英語の新聞を読んで、気になった記事の要約やコメントをすることにした。
ある意味、興味が多岐に及ぶ性質なので、一つのテーマに絞らなかった。
時には、インターネット、時にはMLB、時には音楽、映画と。
一つのテーマに絞らないから続けられないということもあることに気づいた。
いまだに、年の割には興味が多岐に及び(拡散する)性格は変わらない。
しかし体力や視力もなくなってきたので、そろそろテーマを絞ろうかなと思った。(またいつ気がかかるかは保証の限りではない。)書き続けるという当初の目的に戻って、コツコツやってみようかなと。
いろいろ考えたが、コンサドーレというサッカーチームを(僕なりに)応援するようになってから、サッカーというものへの興味が良い案配の広さで継続するようになっている。
このチームを応援しつづける中で、自分のサッカーというもの、サッカーを取り巻く諸々に対することを調べたり、考えたり、書き続けるのは悪くない。
アマゾンプライムでTake Us Homeという面白いドキュメンタリーを観ている。
Take Us Home: Leeds United - Official Trailer | Prime Video
アルゼンチン人の名将マルセロ・ビエルサが、イギリスの古豪Leeds Internationalに招聘されてイギリスのフットボールリーグの2部的な存在であるChampions Leagueでプレミアリーグへの昇格争いをする2017/2018シーズンを描いている。
選手にハイライトをあてたドキュメンタリーは、昔からあまり興味が持てなかった。しかし、ファンベースというものこそがサッカーフランチャイズの魂であるということを表現するこのタイプのドキュメンタリーには心底引き付けられてしまう。
コミュニティの魂にとって不可欠の存在であると同時に、営利事業として存続していかなければならないという宿命の共存。まさにそのバランス、アンバランスが生身の心を揺さぶるのだ。
サッカー関連で言えば、やはり圧倒的に、イギリスの新聞である。たまにニューヨークタイムスの中にもエッセイ的な良いコラムもあるが、その密着度において、イギリスのメディアを超えるものはない。
最近は、日本の新聞を除けば、デジタルでも有料購読はNew York Timesだけにしているが、そろそろ、良いサッカー記事が載っているデジタルメディアも購読しようかなと思い始めている。
Duolingoというアプリで火がついた外国語学習意欲も利用して、英、仏、スペイン、イタリア、ドイツ、ブラジル語の記事を読めるようになるというのが、人生最後の目標となりつつある(笑)各国のサッカー愛を現地語で読めるようになること、なんか大きいのか小さいのかわからないが悪くない夢じゃないか。
今日のThe GuardianのBury FC消滅の記事はまさに暗転したTake Us Homeのような話だった。
Leeds Internationalの場合は、サッカー愛のあるイタリア人の投資家がオーナーになって愛情と鋭敏なビジネスセンスのバランスを取りながら、プレミア昇格を目指している。ネタバレになるが(事実に関してネタバレもないが)マルセロ・ビエルサの1年目は残念ながら昇格を果たすことなく終わった。しかしプレミア昇格の夢はいまだ絶たれてはいない。
マンチェスターにBuryというコミュニティがある。そのコミュニティが未曽有の悲劇に襲われた。産業資本主義の黄金時代から遠く離れ、深刻な不景気の中にある、このコミュニティの心の支えだったのが、Bury FCだった。今は3部に相当するリーグ1に所属している。
ウィキペディアによれば、
イングランドサッカーのリーグ構成は、
プレミアリーグ 20クラブ
イングリッシュフットボールリーグ 72クラブ
に分かれていて、
イングリッシュフットボールリーグはさらに
EFLチャンピオンシップ 24クラブ
EFLリーグ1 24クラブ
EFLリーグ2 24クラブ
に分かれている。
さらにEFLの下にプロ・アマ混成のナショナルリーグが存在するという。
地方の小さなコミュニティに拠点を持つクラブチームの財政が順調なわけもなく、常に財政危機にさらされてきた。備忘価格で買収したのに、クラブ再生のめども立てることができずに、クラブ消滅を招いた、現オーナーに対する住民の怒りは大きい。この投資家の言い分もあるのかもしれないが、住民には哀しみの持っていき場所が他にはないのだ。
地元の政治家は
「この国のサッカーの経営ルール(Football Governance)には制度的な欠陥がある。それにまさにこのコミュニティは直面している。今回の破綻のベリーの町に対する衝撃は大きい。
このコミュニティは緊縮財政のあおりを受けて、長年に苦しみ続け、マンチェスターの影の部分として10年以上放置されてきた地域である。この地域には固有の価値がある、しかし今、経済、文化における影響力の基盤が奪われてしまった。」
と嘆く。
3部に昇格して、この日曜に予定されていた開幕試合を待ちわびていた26歳の青年曰く、
「足が震えっぱなしだ。正直なところ泣きたい気持ちだ。「まだ信じている」という連中がいるのは知っている、でも、じゃあ何ができるっていうのか、もうずっと立ち直れない気分だよ。」
親子代々シーズンチケットを買って、家族でこのクラブを応援してきた老人は孫を連れてBury FCを応援に行けないことを悲嘆する。
Buryが消滅したら、別のクラブを応援するのかという質問に、ファンの一人は、
「もう終わりだ。この町の皆の人生はクラブを中心に回っていた。この町からクラブを取り上げたら何が残るというのか。僕たちは最悪の理由で歴史に名前を残すことになったわけさ。地元のサッカークラブを失くしてしまった町としてね。」
なんともモノガナシイ記事である。
コミュニティとサッカークラブ。英国に比べれば、まだ始まったばかりのJリーグで、今後、僕たちは、どのような歴史と物語を紡いでいくことになるのだろうか。