津村記久子 「ディス・イズ・ザ・ディ」
2019年8月9日(金)
最近Jリーグでちょっと活躍しはじめた若手がすぐに海外の2軍的なところに青田買いされる動きが加速している。個々の選手のレベルが上がっていくことは日本のサッカーにとって悪いことではないかもしれないが、少し行きすぎな感じがしている。
チームを過剰なほどに守るプロ野球の姿勢に対しては、なんとなく、批判的な気分を持っていた。でも最近、張本さんが、大事なのは日本のプロ野球だろうと、選手の海外志向を批判したのが、ちょっとわかるようになってきた。
これは、Jリーグのコンサドーレへの感情移入が強くなってからのことだ。
そうなのだ。大切なのは、日本代表ではなく、自分が応援しているチームであり、そのチームの動向に一喜一憂する自分たちの日常なのだ。
芥川賞作家の津村記久子さんの「ディス・イズ・ザ・ディ」は、そういう「自分たち」の感覚を描きつくして、既に古典の域にある。
別に読みやすいわけでも、構成が良いわけでもない。
ただ津村さんはこの小説で、まったく違ったサポーター私小説のような新しいジャンルを生み出したようなのだ。
向田邦子を読むと誰もが自分の「父の詫び状」を書ける気になるのと同じような意味で、この小説はそれぞれのサポーターの心情を強く喚起するものがある。
なかでも僕は、「また夜が明けるまで」が好きだ。
昔J1で優勝した経験があるが、2年前に降格して、昨年はプレイオフで格下に敗れ、昇格を逸するという不測の事態に陥り、起死回生、今期は、なんとか自動昇格の位置を確保するために最終戦に勝ちたい浜松のチームのサポーターであるフリーライターの女性と、最終戦で負けるとJ3降格が決まる土佐のサポーターである女性の中学教師の不思議な友情の物語である。
フリーライターはどこかで自分が観戦に行くと、負けるという想念にとらわれている。彼女は東京に住んでいるのだが、昔、J1のトップチームだった浜松のファンだったことから、今でも、浜松を応援しているのだ。
中学教師は数年前からカップ戦での活躍を契機に応援するようになり、コアサポというほどでもないが、サポーターとして日常を楽しんでいる。
迷ったあげく、アウェイの街に降り立ったはいいが、飛行機が遅れ空港バスの最終に乗り遅れ、立ち往生しているライターを、たまたま空港にボーイフレンドの妹を車で迎えに来ていた中学教師が声をかける。
この敵味方がひょんなことから知り合い、それぞれの想いで、昇格と降格がかかった最終戦を迎えるという話である。
人はなぜサポーターになるのか、そして、なぜサポーターをやめないのかという心の機微を見事に描き出している。
津村さんの悪口を言う気持ちはさらさらない。
登場して即座にジャンルを作り出した力は尊敬する。
でもおそらく多くの読者は、自分の中に溜まっている、もっと深い色をした宝石のような物語を見つけることができると感じるはずだ。
それがこの不思議な小説の最大の魅力なのである。
僕も同じで、コンサドーレの昇格のかかったアウェイのジェフ市原戦で、初めて行ったゴール裏の奇妙な熱気にゆっくりと絡めとられ、そして内村のスーパーゴールで心の中に熱い焼きごてを押し付けられたようなあの感動から、もっと良い物語を紡げると強く感じているわけなのである。あの試合では、まだユニフォームすら買ってなかったのにいまや(笑)