21世紀ラジオ (Radio@21)

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死んでも死なないイノチって?

2019年8月6日(火)

お盆が近いからというわけでもないのだが、やはり、人間にとって一番大事なのは生きるということ死ぬということだなあと、熱帯夜で寝不足気味の頭でぼおっと考えている。

ここ5年ぐらい毎週聴いている、山下良道さんというお坊さんの法話ポッドキャストの影響も大きいのだけれど、年甲斐もなく、相変わらず、旬な、イマドキのビジネスを追い求めたくなる気持ちの振れをどこかで安定させてくれるのは、人間はいつか死ぬという考えである。

光の中のマインドフルネス――悲しみの存在しない場所へ

 

でも、どうせ死ぬんだから、なんでもいいということでもない。

山下さんの師匠の内山興正さんという瞑想の巨人の最強の決め台詞の「死んでも死なないイノチ」という言葉がある。

 

どうせ死ぬんだからなんてことは言っていられない。なにせ、生きるということと死ぬということには切断がないのだ。そもそも生死なんてことは、人間が頭の中で生み出した概念にすぎない。そこにあるのは存在そのものだ。

特に年を取ってくると、身近なところにいる自分より年上の人間がコマ送りで衰えていく。それを嘆き、厭いながら暮らすのか、人が形のない世界へと移行していくのをしっかりと目撃できる稀有な機会ととらえられるかは、このあたりの死生観の有無によるんだろうなあ。

随分前になくなった池田晶子さんにこんな言葉がある。

14歳からの哲学 考えるための教科書



「人が信じるのは、考えていないからだ。きちんと考えることをしていないから、無理に信じる、盲信することになるんだ。死後の存在をあれこれ言う前に、死とは何かを考える。神の存在をあれこれ言う前に、何を神の名で呼んでいるのかを考える。もし本当に知りたいのであれば、順序としてはそうであるべきだとわかるだろう。

 

信じる前に考えて、死は存在しないと気がつけば、死後の存在など問題ではなくなるはずだし、死への怖れがなくなれば、救いとしての神を求めることもなくなるはずだ。そして、救いとしての神を求めることがなくなれば、にもかかわらず存在しているこの自分、あるいは宇宙が森羅万象が存在しているのはなぜなのかと、人は問い始めるだろう。この「なぜ」、この謎の答えに当たるものこそを、あえて呼ぶとするのなら、「神」の名で呼ぶべきなのではないだろうかと。」(14歳からの哲学)

 

そうなんだよな。余計なことじゃなく、こういうことに頭を使うべきなんだと、お盆を迎えて、しみじみ思う今日この頃です。