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深代惇郎の天声人語

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いっとき深代惇郎天声人語を筆写してみた時期があった。達意の文章家深代の呼吸がわかるだろうかと思ってのことだった。


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短文とは言えども、毎日、何かを書き続けるということは並大抵のことではない。しかも、大新聞の名物コラムを毎日書き続けるのだ。その時々におこった出来事を反映し、それなりの意見に結び付ける。当然、その会社の方針というようなものも頭をかすめるだろうし、他の新聞のコラム子との競争もあるだろう。

 

いずれにせよ、身体によい商売ではない。身を削るように天声人語を書いた深代惇郎は1975年に46歳の若さで病に倒れ、急逝した。

 

深代の魅力は、その独自の歴史観と、国際感が、ミクロの材料に対する包丁さばきの隅々にいきわたっていることである。ミクロとマクロが交差するところに、「いま」が鮮烈に浮かび上がった。

 

その彼にしても、紋切り型(クリッシェ)との戦いは困難を極めたはずである。とりわけ短い字数という制約の中で、物事を圧縮としてまとめあげるにはそれなりの常套句に頼らざるを得なかった。

 

また深代流とよばれてしかるべきその文体は、ともすれば、自らに対する模倣になっていったはずだ。音楽、文学、絵画など広く創造の世界においては自分に対する模倣すら罪となる。但し、誰かが声高に責めるわけではない。創造者それ自身の内心をじわじわと腐食していくのだ。それが一番きついのは想像にあまりある。

 

死の数か月前に書いた深代惇郎天声人語の美しさは、そういう途方もない戦いの末に聞えて来るスワンソングだけが持つものなのだろうか。