21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

MORIOKAの友人

年末に、大手術をした、大学時代の友人の見舞いに行った。大学で物理学を教えている独身の友人は、術後も、いつもどおりの平穏な表情を浮かべていた。安心した。長く、不眠症等に悩まされているが、彼の内心は単純には外には現れてこない。しかし卒業後何十年もつきあいが続く数名の仲間内の中ではその平静な物腰がずっと愛されている。

 

数年前に、皆で彼の故郷を訪ねた。岩手県盛岡市だ。

 

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ユーミンの「MORIOKAというその響きがロシア語みたいだった」というフレーズや、宮沢賢治やら、長い間、一度は訪れたいと思っていた街だった。


http://j-lyric.net/artist/a000c13/l006ba9.html

彼はいつもの平静さと、驚くべき周到さで、僕たちをたっぷりともてなしてくれた。古い温泉宿の窓から見上げた星空や北上川沿いの風景など多くの記憶が残った。

 

お互い、そこそこの齢になったので、こんなことがあると、いきおい会話はこれからどうするという話になる。

 

ぼつりと「そろそろ盛岡に帰りたいと思っている」。

 

「それはいいな。いつでも盛岡に遊びにいけるようになる」。

 

友人の表情の端にほんの少し笑いが浮かんだ。

 

幸田一族の女たちの文章が好きである。その繊細さと清潔さにはまぎれもない一族の文士としての高潔さが受け継がれているからだ。

 

青木玉が盛岡のことを短いエッセイに書いている。

 

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『朝方ひと降りしたそうで、盛岡の街はしっとり空気が冷えていた。雲切れがして日が差し、駅前の街路樹の葉はまだ青く、房になった赤い実は花とは別の鮮やかな色を見せている。聞けばななかまだという。ななかまどは山にある木だと思っていたが、それが並木に使われているのは珍しい。北の土地に育つ木の出迎えを受けた気がした。

 

街の中心部、県庁などの新しい建物が並ぶ通りをちょっと入ると、昔の面影を残した木造の洋風建築物が残されていた。これらの建物を囲んで木々の緑が厚く、新旧がよく調和してゆったりした時を保っている。

 

用が終わって一休みさせてもらった明るい部屋の前を川が流れている。河原が広く、水は寄ったり分かれたりして流れている。土地の方がこの川を鮭がもうじきあがってきますよと言う。鮭の上る川、鮭はこの川上で生まれ遠く旅して、迷わず生まれ育った川の匂いを頼りに戻ってくる。故郷を厚く慕う魚なのだ。ぎゅっと、心を締め付ける情が湧いた。

 

(中略)

 

信号で車が止まった。前方に橋がある。鮭のことが頭にあって、橋に駆け寄って川を見た。都市の川にしては水量が豊かで勢いがあり、水面は強くうねり川底の複雑さが思われる。この川は北上川、さっき見たのは中津川、駅を出てすぐ右手から雫石川の三本が合流して北上川の大きな流れになってゆく。またしても時間があったらと思いながら、御礼を言って駅の階段を駆け上がった。新幹線の窓におでこをくっつけて見損なうまいとした。三本の川は自然に寄り添って遠く流れ去った。盛岡は北の国、人も鮭も、ななかまどの赤い実も、胸に染みる懐かしさである。』

 

三本の川の畔を皆でぶらぶら歩いた時の記憶がよみがえる。この河の畔の街は、よそ者にも得も言われぬ懐かしさを感じさせる街なのだ。