今年最初のスターバックス
2018年1月4日(木)9℃ 112.265¥/$
今年一杯目のドリップを飲みに出かけた、
行きつけで作業のしやすいスタバに行った。散髪がてらだ。
そろそろ仕事はじめなので、床屋ぐらいは言っておこうかと思ったのだ。
仕事柄、オフィスに縛られる時期と、縛られない時期がある。
場所に縛られない時期には、自宅で働くといってもどこか切れ目がないという怨みがあるのと、逆に仕事をし過ぎてしまうリスクも高いので、日中、数時間スタバで作業するということが多くなる。
今年は、少々場所に縛られる度合いが増えそうなので、スタバへ行く回数は激減しそうだ。
終身雇用という神話が強力に生きていて、半ば現実だった時代(あるいは会社)ならば、ライフスタイルが変わるというのは、転勤でもしない限り起こらなかった。
転勤したところで、基本は同じパターンの生活には変わりはない。
「終身雇用的」世界から、脱出した/放逐された、人間を一番不安に陥れるのは、外部から与えられる生活のパターンというものが一切消失することである。
これが一種の解放に感じられる時間は極めて短く、財産がたっぷりあって悠々自適を決め込めるもの以外は、自由であることの不安にとらわれることになる。
朝の通勤時間、午前中、既に大半のサラリーマンがオフィスで働き始めている時間を、躊躇なく、自由に歩くことができるようになるまでに何年かかったことだろうか。
得も言われぬ不安感に始終とらわれることになるのだ。
昔、大手テレビ局をやめてフリーになったアナウンサーが皆、同じようなことを言っていた。怖くて、怖くて仕事を詰め込んでしまい、オーバーワークになってしまう。解放されるということは或る種の精神の安定を失うことである。それで身体を壊す人間も多い。
終身雇用という「神話」が崩壊した時代、あるいは、それに伴うコストが以前より高く感じられるようになった時代には、フリーかそうではないかというのは、共同体の外に出る出ないという「重い」問題から、固定のオフィスで作業する必要があるかどうかという比較的「軽い」問題にシフトしてくるような気もする。
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十分に長い年月、終身雇用というシステムの中で生きた後に、その外で様々な仕事の仕方をしてきたが、ようやく、共同体の内外ということとは違った視点で、この作業する場所の問題を捉えられるようになってきたようだ。
スタバのドリップをのみながら、結局僕は何を言いたいんだろうと考えた。
実は、日本企業の共同体性というものは単に神話だと片づけられない重さを持っているという自分の実感を伝えたかったのかもしれない。