21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

築地本願寺

相手の宗教は何かなどということを、日本人の間で話すなどということもめったにない。ましてや宗教問題がアブナイ話題である外国人との会話に登る可能性も高くない。

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ただ稀に、文化や歴史などのような深い話題になることがある。そういう会話をするだけの一定の親密さが相手と生まれた時である。

 

僕は、そんなとき、いつも、確信をもって仏教徒と答えている。

 

それは外国人には、想定通りの答えなのか、大概は満面の笑みを浮かべ、日本通の人の場合は、どの宗派?などの質問になっていく。

 

2018年の第2日も正月のプロトコルは維持された。箱根駅伝の往路優勝を見きわめてから、散歩に出かけた。目的地は築地本願寺だ。

 

僕の宗派は浄土真宗だ。お東、お西というさらなる区分については、時の権力者との折り合いのための便法で、その後、発生した宗教論理の本質には一切かかわりがないという前提で、無視し、忘れた。僕の祖父は浄土真宗の僧侶だったにもかかわらずである。

 

日本人の大半が、宗教は?と聞かれると、無宗教と答える人が大多数だというコラムを読んだ記憶がある。それがほんとかどうかは別としても、現代の日本人が、自分の宗教を躊躇なく語れるような環境にあるわけでもない。

 

無宗教な人間であることなど原理的に不可能だと思うのだが、その是非はともかく、僕は、親の宗教が仏教だから仏教徒になったというよりは、少々踏み込んだ仏教徒である。

  

仏教徒の定義はニールバーナ(涅槃)を信じるものだ。その意味ではその方向を良しとしているという程度には仏教徒である。

 

新しい情報センターや、小さいが、まともな仏教書店を新設した築地本願寺が、雲一つない青空を背景にきれいだった。

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境内の入口に置かれた今年の漢字は「開く」だった。

 

宗教だけではなく、個人、家庭、社会、世界がより開かれていけばいいと思う。そういう意味で、良い文字を選んだものだと思った。