21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

大晦日に僕はサラバを読んでいる

晦日の朝、起きてみたら、今年一番ぐらいの寒さだった。

 

身体が冷えているので、とにかく朝風呂に入った。

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ぬるい風呂に入って、読みさしの「サラバ」を読みだした。いわゆる奇談というカテゴリーの小説のようだ。ジョン・アービングの「ガープの世界」やパット・コンロイの「潮流の王者」を読んでいる時と同じような気分になった。といってもテーマがどうのこうのというわけではなく、行間の雰囲気だとか、文章の流れに、なぜか、アメリカの小説を読んでいる時と同じような気分になったというだけの話だ。

 

今年の正月に読もうと思って、買い込んだ上中下の文庫本。まだ上の半ばぐらいなので、この小説がどうのこうの言えるような状態ではない。

 

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しばらく読んでいたら、眠くなってきたので、風呂の中で、うたたねをした。

 

家人に、年を取ってくると、風呂で溺死する人が増えるから気を付けてとくどいほど言われる年頃になった。

 

そんなに酒を飲むタイプでもないので、とりあえずは大丈夫じゃないかというあまり根拠のないことを言うばかりでさっぱりやめられない。

 

ところで2017年一番記憶に残ったのはなんだろうかと、ぼんやりと考えていた。

 

新聞やネットを賑わせた話は随分あったような気もする。伝統と腐敗はコインの表裏だという類の話ばかりだった気がする。そんなこと今更ということを、騒ぎ立てていた。

 

最近の話題ということもあるのだろうが、やっぱり、大阪の女子高生たちの、強烈な技術と練習に裏打ちされた一発パロディダンスが記憶に残るだろうな。世の中は終わろうとしているのかもしれないけど、やっぱり、元気で一生懸命な女の子というのは見ていて気持ちがいい。

 

長風呂をそこそこで切り上げた。

 

脱衣所のバスタオルで身体を拭いた。ふかふかしていて、家のタオルの中で、一番気に入っているものだったので、気分がいい。このタオルは香典返しだったという記憶がよみがえった。

 

しばらく、脱衣所で、誰からもらったのか思い出していた。昔、同じ職場で働いていた、やせ型の同僚の顔が浮かんだ。

 

彼の子供が亡くなった時の香典返しだった。彼とは、そんなに親しくもなく、直接に話したのは数回程度のつきあいだったが、どこか記憶に残る男だった。とても地味な人間だったのだが、アメリカで一緒に働いていた時に、二度も、ワインマンに金を巻き上げられたことで有名だった。ワインマンというのは、当時、紙袋にワインボトルを入れて、フラフラとぶつかってきて、ワインが割れたといちゃもんをつけて、カネをせびる小悪党

だ。少し慣れてくると、近寄って来る奴の目を睨みつけると、ふらふらといなくなるという、至って弱腰の言いがかりだった。明らかに街に慣れていない、観光客を狙った犯罪だった。

 

タオルの彼は、ニューヨークで長く暮らしていた癖に、二度も同じ手口でやられたのだ。

 

あまり彼のことを知らない僕は、彼の同僚に、なんで二度もやられるんだと聞いたことがある。

 

すると、彼より年下のその同僚は、「未だに、観光客のようにきょろきょろしながら歩くからですよ」と、微かな軽侮を漂わせて笑った。

 

マンハッタン暮らしが長くなると、きょろきょろしないで、前をじっと見て歩くようになる。それで観光客に間違われることがなくなるのである。飄々とした彼は、きょろきょろというよりは、東洋の茫洋とした表情を浮かべながら、マンハッタンの街路を散策していたのだろう。

 

彼の子供がどうして亡くなったのかということも、彼の哀しみも何も知らない。

 

でも、彼が香典返しに選んだのが、十何年使っても、いまだに肌触りの良いバスタオルだったということが、彼がどんな人間だったのか、彼がどのように最愛の子の喪失に耐えていったのだろうかということを雄弁に物語っているような気もする。

 

これが僕の2017年の大晦日の出来事である。