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元禄デジタル散歩のすすめ(志ん生の中村仲蔵を聴きながら俎板橋跡渡る)

ITだとか、インターネットだとか言うと、若者のため、家に引きこもりがちな人用などという偏見がいまだにあるようだが、電話は若者用だとか、外出嫌いの人用などという発言はもはや見当たらない。技術の導入には時間がかかるというか、人々の意識は、現実にかなり遅れるということなのだろう。

 

実際、デジタル技術というものは、もはや、引きこもりがちな若者のためだけの道具ではない。

 

この連休、どこに遠出をするのでもなく、地下鉄に乗ったり、散歩したりしながら、だらだら過ごしている。その道連れは、iPhoneだ。

 

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もはや携帯電話というか、スマートフォンというものは、電話というカテゴリーでは括り切れない。まさに掌の中に、高性能コンピューターがある。僕が、幼児の頃、フェリックスの冒険という漫画があった。黒猫のフェリックスが、黄色い万能鞄を持って大活躍する話だ。最近の人なら、ドラえもんのポケットということになるのだろう。この万能鞄というのが欲しくてならなかった。自動車にでも飛行機にでもなる鞄。

 

人生において必要なものが、小さな鞄の中にすべて入っているのだったら、どこにでも自由に行けると幼心に思ったのを強烈に記憶している。どことなく、テクノロジーというのはそういう方向へ向かっているような気もする。

 

ただ、欲望の方は、昔に比べれば、等身大のところにおさまってきているらしく、それほど様々な用途に使っているわけでもない。

 

グーグルマップで場所を確認し(どうもアップルの純正マップは、使い始めの頃の使いにくさがトラウマになってiPhoneなのに全く使っていない)、地名の由来を検索をした後は、ほぼiPhoneは昔のiPodになる。ほとんどが音を聞く装置になるのだ。

 

取りためたPodcastや、最近ならRadikoで過去の番組を聞くことも多い。

 

しかし、休日となると覿面、Audibleの利用度があがる。アマゾンプレミアムのおまけのような3か月無料につられて、いつのまにか、有料会員になってしまった、本のオーディオ版サービスである。

 

www.audible.co.jp

 

初めの頃は、その品ぞろえの薄さに、そろそろ解約しようかと思っていたぐらいだったのだが、東京を意識的に散策するようになって、その限定的な品ぞろえが、東京散歩には悪くないことがわかってきたのだ。

これまであまり読むことも、聴くこともなかった、時代小説や落語の分野のコンテンツが案外いいのである。志ん生、金馬、談志、志ん朝、円楽などの落語やら、志ん朝が読み上げる鬼平犯科帳やら。

 

最近、気に入っているのは、吉川英治だ。版権がうるさくなくなっているせいか、三国志宮本武蔵など、かなりの大作が聴けるようになっている。

 

本所吉良屋敷や、泉岳寺、聖路加あたりの浅野屋敷跡などふらふら歩きながら、とうとう吉川の忠臣蔵を聞き終えたほどだ。ある意味、年寄臭いことおびただしい。

 

自動車に引かれないように気をつけるという前提のもとではあるが、これが、なかなか至福の時なのである。

 

散歩していた場所と、その時聞いていた件が、面白いほど鮮明に結びつくのである。歩いていた場所に関する場面を合わせて聴くなどという几帳面な性格ではないの流れている件と歩いている場所はかなり食い違っている。

 

大石内蔵助たちが切腹した細川屋敷あたりで、吉良亭討ち入りの場面を聴いていた時には、吉良側の若い茶坊主の牧野春斎がけなげに闘い、倒れる件で、思わず、涙が出た。

 

討ち入りを果たした後に、休憩を求めたが、拒否された回向院あたりから、赤穂浪士たちの足どりというか(方向)を雑にたどりながら、二の橋あたりでは、冲方 丁の光圀伝で、幼い光圀が、父親から試されて、夜、罪人の首を引きずりながら歩く場面に引き込まれた。

 

 

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東京散策というのはおそらくさまざまなアングルがあるとは思うのだが、やはり、この元禄という時代は、なかなかに、爛れた面白さがある。光圀も、五代将軍綱吉の成立の一端を担っており、ひいては、赤穂事件の遠因ともなっていくわけなので、歩けば歩くほど、聴けば聴くほど、散策の醍醐味が高まってくるのだ。

 

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昨日は、忠臣蔵の国民的人気の原点ともいえる仮名手本忠臣蔵の五段目、憎まれ役の斧定九郎のキャラクターをそれまでの場繋のような平凡さから、派手ないでたちに変え、地味な五段目を、一つのショーストッパーへ変えた元禄の名優中村仲蔵についての落語2本、講談1本を聴きながら、皇居の平川門から、俎板橋跡と通って、途中、中入りで神保町あたりで昼飯を食ってから、結局は護国寺近くまで歩いた。

 

白状すると、今回は、いつもの行き当たりばったりではなく、若干、知恵もついて、平川門のあたりは、昔護持院が原と言われた場所であることを調査済みだった。

 

この護持院というのは、綱吉の母親の桂昌院の肝いりで、隆光という坊主に建立させたお寺である。隆光が桂昌院をそそのかして出来たのが、稀代の悪法、生類憐みの令というのが、歴史的に正確かどうかは別としても、世間の語り継いだ歴史である。

 

その護持院あたりから、まず、三遊亭円楽、次に、古今亭志ん生、最後は、講談の一龍齋貞心の「中村仲蔵」の聴き比べ、歩き比べと洒落こんだわけである。

 

火事の都だった江戸で、この護持院も焼け、その後は、護国寺に吸収されたという歴史がある。そのあたりを手繰りながらの散歩だった。

 

途中、喫茶店で、Kindleで、吉川英治忠臣蔵を読み直し、Audibleで志ん生の口跡を堪能し、グーグルマップで現在値を確認し、グーグルで俎板橋の由来を検索しと、まさに、アマゾン、グーグル、アップルの三強の囚人と化したような一日だったが、なかなかに楽しいアウトドアだった。

 

これも単純なアウトドアというよりは、デジタルを使った新時代の引きこもりと言えないこともないか。

 

神田で蕎麦を食いながら、iPhoneで、アマゾンのベゾスがほんの少し持株を売って、1000億円超の資金を手に入れ、宇宙ビジネスに投資するというニュースを読んだ。

 

たしかに、引きこもりがちの老人たちまで、わけもなく散歩させるほどの力がありそうな会社らしいと妙に腑に落ちた気がした。