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定点観測としての天声人語

天声人語村上春樹はどこか似ている」と、出版者の旧友が言った。リベラルさ?と質問すると、彼は、しばらく考えてから、ほんの少し笑って、

 

「読んでいると、いつのまにか、同じようなスタイルで文章を書いてしまう」。

 

だとすれば、天声人語は、向田邦子にも似ているのかもしれない。

 

 「深代惇郎の天声人語」の画像検索結果

 

過去数十年、朝日新聞を読んでこなかった。そもそも新聞を読まなければ夜も日もあけないような世代でもない。

 

普通にサラリーマンになってから、一種の必需品として経済新聞を購読するようになったが、そこでも熱心な読者ではなかった。

 

最近は、紙で読むことも嫌になって、デジタル読者になった。

 

もともとさほど好きでもなかった経済から関心がどんどん離れていることもあって、思いつきで、朝日新聞のデジタル版を読みはじめた。

 

リベラル軸というものが全世界的に劣勢にあるというのも、自分の中のバランス感に作用したところもないとはいえない。何事につけ、物事が極端に走るのは良いことではないということだけが、僕の人生哲学だ。

 

一強政治に対する反対票として民進党ではなく、共産党に投票するというような。

 

たださすがに赤旗は読む気がしないので、次に、世の中の多数派からは叩かれやすい朝日あたりを読んでおこうという次第となった。

 

しかし単なるバランス感覚だけというのは少し言い過ぎだ。

 

若い頃、天声人語をよく読んでいた。

 

ただ、すべての天声人語というよりは、深代惇郎天声人語

 

 

trailblazing.hatenablog.com

 

彼が、現役で書いていた頃も読んでいたはずだが、当時は、執筆者のことなどまったく知らない。

 

その意味では、彼が急逝した後に、深代名義で出版された天声人語集やエッセイ集によって、天声人語が、当時の自分の「マイブーム」(1997年流行語大賞 By みうらじゅん)になった。

 

とりわけ、深代惇郎の文体の中にある、ロングショットとクローズアップショットの絶妙の組み合わせが好きだった。そしてそこにい差し込まれる、過去、現在、未来の時間の感覚。

 

最近の日課は、複数の新聞をパソコン上で眺め読みしてから、朝日新聞天声人語をじっくりと読むことである。

 

まずは本日の版、そして、次に、英語版で、昨日の天声人語の翻訳。

 

これが案外楽しいし、英語の勉強にもなる。

 

そんなことをしばらく続けていたら、急に、深代惇郎天声人語が読むたくなった。

 

残念ながらまだ電子版にはなっていなかったので、文庫の天声人語集を買って、毎日一本読むことにした。

 

今日の天声人語を読んでから、深代天声人語を読むのである。これがなかなか面白い。

 

面白いだけではなく、過去のことを思いだしながら読む、かなりコクのある定点観測の時間になるのだ。

 

今日の天声人語は、「盆栽から学ぶ」。

 

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JRの大宮駅構内で「樹齢870年以上」という威風堂々の盆栽を見たというところから話しは始まっている。大宮で世界盆栽大会が開幕したとか。40か国から愛好家が参加し、日本での開催は28年ぶり。出展者は、現役を退いた男性の楽しみから、若い世代へと広がっていないことを悩んでいる。この「緑のアート」に中国からの関心が高まっているという。そもそも盆栽の起源は1300年前の中国。

 

そして結語。

「松や真柏(シンパク)の盆栽の逸品では、白く堅い独特のうねりに目がとまる。枝先が枯れたものを神(ジン)、幹の一部が枯れたものを舎利(しゃり)と呼ぶ。何ごともせわしない昨今、余裕のない私たちを、盆栽が静かにみつめているような気がする。」

 

 

次に、僕は、深代惇郎天声人語の中の、昭和50(1975)年1月7日付の「緑の自慢」を選んだ。

 

info.asahi.com

 

当時の環境庁の「緑の国勢調査」で、日本全土の開発ブームのせいで、都市部の緑が惨澹たる内容であるという報告を取り上げている。その後、深代は、「ソ連ウクライナ」のキエフを訪問したエピソードを語り始める。その時、「キエフは世界一緑の多い都市です」と聞かされた。確かに目抜き通りの並木の大きさにはびっくりしたと述懐している。この緑自慢について帰国後、知人のソ連通に確かめてみたところ「緑覆率を都市の自慢にするのはソ連の特徴」と教えられることになる。

 

「「所得水準」という金勘定だけで、人間生活の質は分からない。体ごと青く染め上げてくれるような緑陰を歩き、おいしい空気をふんだんに吸う生活はGNPという数字の足しにはならないが、大気汚染の中の冷暖房完備より豊かさがあるのではないか。」

 

と結んでいる。

 

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キエフの巨大並木と、樹齢870年以上の盆栽。

 

コーヒーを一口飲んでから、ゆっくりと味わってみる。そこには40年以上の時が流れている。

 

深代のコラムが書かれた14年後にベルリンの壁が崩れ、その2年後に、ソ連は崩壊した。

 

今や、ウクライナは親ロ、反ロの対立で内戦的緊張の中にある。

 

このコラムの前提にある、金勘定だけではないソ連というのは、理念としてさえ存在しない。

盆栽を眺める中国人の目もいまや「拝金主義的共産主義」という不思議な奇形を前提としたきわめて屈折したものになっている。

 

緑を自慢しているわりには、ロシアの成年男子の平均寿命は相変わらず、先進国では最低水準らしい。おまけに、アメリカの白人男子の平均寿命の急激な低下までが加わった。

 

こんな定点観測にどんな意味があるのだろうかと自問してみた。

 

結局、長い月を経ても、変わらないものが、あるということが大切なのである。

 

長い月日がたっても、変わらない思考のスタイル、形式的なものにとどまらない、行動のスタイル。

 

それが今の日本(大きく出ると、世界)が一番必要としているものである。

 

40年以上離れた、天声人語を毎日、読み続けるということは、それを探す上では、悪くない出発点のような気がするのである。

 

キエフの巨大並木と樹齢870年以上の盆栽の間に、変わらない、行動のスタイルに繋がる何かがあったか?

 

まあ、それは言わぬが花ということで。

 

ところで、最後に、冒頭の友人の洞察は、あたっていただろうか。