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エリザベス・ウォーレン 戦い続ける理由 (Paul Krugman Elizabeth Warren Lays Out the Reasons Democrats Should Keep Fighting)

2017年4月19日(水)26℃ 晴れ時々くもり 108.431¥/$

 

安倍一強政治の問題点が取りざたされる。しかし感情的に反発するだけでは何も変わらない。民進党の迷走や、国際関係における「危機」が一強状態を強化している。

 

現政権のすべてを全否定する必要はない。またそれは現実的でもない。しかし、一強状況に伴う緩みが、国民生活に及ぼし得る問題点も明らかになりつつある。一強体制は、野党の脆弱化と、自民党内部派閥の弱体化という二つの面で、再帰的に強化されつづけている。

 

政党制というものは常に不完全なものであり、常に、有権者に不満を齎すものである。しかし、グローバルに世界を覆う、立憲主義独裁のような動きが齎す災厄の可能性を歴史が教える中で、適切な対抗勢力がなんとしても必要なのだ。

 

対抗勢力にとってもっとも必要なのは、左右という軸が流動化する中で、国民に心にストンと落ちる言葉を組み立てることであり、対抗勢力として「戦う理由」を世に問い続けることである。

 

クルーグマンが、米国民主党左派の闘将エリザベス・ウォーレンの新著についての書評を書いている。

 

This Fight is Our Fight(この闘争は、我々の闘争なのだ)

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米国と日本の状況を単純に比較することはできない。格差というものへの考え方についての両国の歴史の違いがあるからだ。

 

トランプ旋風という中で、政党制の不備をついて、政治運動が米国政治を支配するという未曽有の状況が生じているアメリカは、我々が日本という環境とその選択肢を考える上で、一つの手がかりを与えてくれることは間違いない。

 

表面的には、共和党が勝利したかにみえるが、本質的には政党制の敗北が生じている。その中で、おそらく、表面的な勝利によって、しばらくは、従前のごまかしを続けることができる共和党よりは、その敗北を明確に認めるしかない民主党の方に、政党としての回復の可能性があるようにも思える。

 

抵抗運動には、マニフェストが不可欠だ。民主党のイニシアティブを取り戻すための完璧な青写真を提示しているとはいいがたいが、今、民主党が最も必要としている「戦い続ける理由」をいち早く提示したエリザベス・ウォーレンのこの書物の貢献度は大きいとクルーグマンは主張している。

 

日本政治においても、象牙の塔の外に出て、あるべき政治軸を語る声が必要とされているのを感じる。政治の根本にあるのは言葉である、常に実証精神を失わない、「言い訳のない」精神で、普通の国民の生活の実感に刺さってくる、政治の言葉、マニュフェストの確立が野党と呼ばれる陣営の急務なのだろう。

 

 

Elizabeth Warren Lays Out the Reasons Democrats Should Keep Fighting

By Paul Krugman

https://www.nytimes.com/2017/04/18/books/review/this-fight-is-our-fight-elizabeth-warren.html?rref=collection/sectioncollection/books&action=click&contentCollection=books&region=rank&module=package&version=highlights&contentPlacement=1&pgtype=sectionfront&_r=0

 

(以下抄訳)

学者よ、象牙の塔に閉じこもるなという声が強い。

 

だからこそ、象牙の塔から飛び出して、実社会で活動する数少ない学者たちは賞賛される。

 

不思議と、エリザベス・ウォーレンはこのカテゴリーに分類されることはない。

 

ウォーレンはハーバード大学の法学部の教授であり、政治活動家としても実績を上げ、2010年のドッド・フランク金融改革の主要部分となった個人投資家保護領域について、八面六臂の活躍をし、多くの金融不正が生じるのを防いだ。

 

その後、彼女は影響力のある上院議員になり、ヒラリーの大統領選では民主陣営の中の本当の民主党民主党の良心を代表する部分の事実上のリーダーとして注目を浴びた。

 

ところがトランプによる大番狂わせが起こった。

 

その中で、民主党の中心議員たちは、トランプ政権に対抗するための有効なリーダーはどうあるべきかを考えなければならない。

 

ウォーレンの新著は、まさに、民主党のリーダーとはどうあるべきかについての、一つのビジョンを提示するマニフェストなのである。

 

では内容に説得力があるか。

 

答えは単純ではない。

 

ウォーレンの立場を、啓蒙的ポピュリズム(The Enlightened Populism)と呼ぶことにしよう。

 

彼女は所得と富が一握りのエリート層に集中しつづける状況を厳しく非難する。

 

経済的報酬が一部に集中することによって、我々の政治的システムが破壊されたとし、彼女は、不平等な富と権力を、普通の世帯が直面する、所得の低迷、格差の増大、機会の破壊などの諸悪の根源であるとする。

 

彼女は中間層の苦境を具体的に描きだす。ウォルマートの労働者が食料配給の列に並び、DHLの労働者が大幅な賃金カットにさられ、ミレニアル世代(30代後半以降の世代)が奨学金ローンに押しつぶされている。

 

彼女の生い立ちも、マニフェストの中で、うまく活用されている。

 

自分が育った、今よりはるかに寛大で、格差が小さかった時代における個人に与えられていた機会と、現代の人々が直面している困難を比較する。

 

自分が成功できたのは、今や見る影もない、質の高い、安いコスト(一学期の授業料が50ドル)で得られる公立大学による教育であり、相対的に高い最低賃金のおかげだと。

 

では、普通のアメリカ人苦境に変化をもたらすには何ができるのか。

 

ウォーレンは、金融規制の維持、強力な社会プログラム、教育、研究、インフラに対する新しい投資などが必要であると主張する。これは民主党の標準的な立場に見えるかもしれない。しかし、答えはイエスでもありノーでもある。

 

ウォーレンの主張は、ニューディール政策の再来のように聴こえる。これは彼女自身も認めている。

 

「一度できたのだから、またできないわけがない。」

 

しかしウォーレンの独自性は、多くの民主党議員が今まで、避けてきた要素を発言に付け加えたことだ。オバマ政権も、みなが考えているよりははるかに多くの格差是正対策を行ってきているのだがさすがに、明示的に格差減少策を提示することには躊躇した。

 

ウォーレンは、これに対して、格差の原因と、それをどのように削減するかという論争において断固、左派に立つ意思表示をしている。

 

民主党よりの経済学者でさえ、格差の高まりを、避けがたい市場の力の結果として捉える傾向が強い。特にテクノロジーが、物理的な労働に従事する人々の賃金の下落を引き起こし、このトレンドに対する戦い、たとえば最低賃金の設定は、むしろ雇用の喪失につながり、助けようとしているまさにその人々の失業率を高めることになるのだと言うのが彼らのロジックである。

 

リベラル派でさえ、この点に関しては、自由市場政策を支持することがほとんどだ。

 

彼らは、賃金格差の高まりは、教育とトレーニングへの支出によって制限することができるとする。

 

そして所得の過度な集中を制限し、労働者を支援する主な手段としては累進課税と強力なセーフティネットかがふさわしいと考えるのである。

 

これに対して、ウォーレンが主張する、代替的見解は、富裕層に課税し、セーフティネットを強化することである。彼女は、さらに公共政策によって労働者の交渉力を増強すべきだとする。しかし、これまでの現実の公共政策はこれとは正反対だったので、格差は多くの領域で急拡大した。

 

この代替的見解は、過去数十年間で目立って主張されるようになってきている。これらの発言は、多くの実証データによって裏打ちされている。私が、ウォーレンのポピュリズムを啓蒙的と呼ぶのはこういう実証性を大切にするところだ。

 

この本の冒頭で、ウォーレンは、最低賃金が上昇しても雇用に大幅な悪影響は及ぼさないことを示す学術研究が積みあがっているのに、最低賃金を上昇させることを拒否する政治家たちに苛立ちを隠さない。

 

彼女は正しい。

 

その後、彼女は、組合の弱体化のもたらす悪影響について書き進める。これもまた多くの研究調査によって裏付けられているものである。IMFのような左派(笑)情報源もこれを認めている。

 

ウォーレンのユニークさは、格差と戦うための方法としての税金、社会的支出に加えて、市場への介入を重視することである。

 

これによって彼女は、民主党の中でもかなり左寄りのポジションを占めることになる。

 

な実際の政策が理想とは違った方向へ向かう理由は何か。ウォーレンは、この点においても、他の民主党議員に比べて、スタンスが明らかである。それは、上院での発言、この本での主張に共通している。彼女は、名指しで、ビッグマネーが引き起こすアメリカのシステムの腐敗を問題の根源として非難する。

 

これはこの本の中で繰り返される主題だ。

 

2015年に、労働省が立案した、投資アドバイザーが顧客の利害に基づいて行動することを求める受託者ルール法案に対する議会ヒアリングがあった。

 

ブルッキング研究所と連携した有名金融エコノミストのRobert Litanが、このルールに反対する証言をした。

 

この時も、ウォーレンは、ほとんどの政治家がしなかったことを行った。

 

彼女は、Litanの反対意見が大手のミューチャルファンド会社からの報酬をもらって行った調査に基づいたものだと非難したのである。(Litanはのちにルールを破ったということでブルッキングスとの関係を断つことになった。)

 

この本は、ウォーレンの賢明で、タフな精神を表しているのは確かだ。

 

しかしこれが革新的政治の復活(progressive political revival)の有効な青写真と言えるだろうか。

 

ウェストバージニア州のことを考えてみよう。オバマケアによって保険に加入していない人の数は6割も減った。最低賃金は上昇し、組合が復活した結果、ヘルスケアとソーシャルサービスというこの州の二つの最大の産業の労働者に奇跡が起こった。すなわち、啓蒙的ポピュリズムアジェンダが普通のアメリカ人に対して望ましい効果をもたらした完璧な例である。

 

 

しかし昨年11月にウェストバージニア州は、とうの昔に、影も形もなくなっていた炭鉱での仕事を復活させるというナンセンスな公約をする非啓蒙主義的ポピュリストに対して、3人に1人が投票したのである。公約だった、炭鉱の雇用回復はいまだ達成されていないし、この州の住民の4分の1以上をカバーしていたMedicaidも破壊された。

 

なぜこんなことが起こったのか。

 

多くの人々がアイデンティティ政治を原因にあげている。

 

白人および男性中心のアイデンティティ政治だ。

 

ウォーレンが繰り返し、偏見というものの政治的重要性を重視していたことは評価すべきである。

 

彼女は、バーニー・サンダースのような人までもが認めていた、人種、性差への偏見(bigotry)は経済プログラムが十分に革新的(progressive)ならば、政治的に重要なものにはならないという考えには与しなかった。

 

この点に関して、この本の中で、彼女が良い答えを出しているというわけではない。

 

しかし正直に言おう。

 

共和党のウォーレンに対する攻撃は、サンダースに対するものとは明らかに異なっており、その原因の一部は性差にあったと言わざるを得ない。

 

しかしこれも時間の問題だ。

 

民主党議員が、今、本当に必要としているのは、「戦いつづける理由」なのである。

 

これこそが、まさにウォーレンの力強い、言い訳のない、この新著がまさに提供しているものなのだ。よしんば、これが最後の決定的な言葉でなかったとしても、これは貴重な貢献と言える。

 

(以上)