さよなら英語 (内田樹の研究室 役に立つ学問)
2017年4月18日(火)28℃ 雨のち晴 109.036¥/$
ウェブに溢れる英語のコンテンツの中で、日本語で理解しておくべきことは何かを探すということは、僕の毎朝のルーティンだ。
インターネットが普通の人間の手に届くようになったのが95年ぐらいからだとすれば、20数年間、これが続いていることになる。
その間、英語を母国語とする人々を顧客、上司、部下とするという経験もあったし、周りの90%が英語を母国語とする都市で7年近く暮らしたこともあった。
そんな状況では、英語能力を高めるというのは、まさに不可欠な実学だった。
その後、僕のまわりから恒常的に英語でコミュニケーションする人の数は減っていき、今では僕の周りの99%のコミュニケーションが日本語によって行われているといっていい。
正確に言うと、僕の周りのコミュニケーションの絶対量も急落している。長年、目指していた、ほどよい、引きこもり生活に着々と近づいている。
しかし習い性となるとはよくぞ言ったもので、この数十年間、英語での情報収集が僕の知的活動の50%以上を占めてきたことによる慣性は、ビジネス的な意義、親睦的な意義がほぼ皆無になっているにもかかわらず、なくならない。
英語圏の人々とのビジネスが減ったので、英語のビジネス的意義がなくなったという言い方も、ある意味、正しくない。
記憶をたどってみると、僕は、英語圏の人々のコミュニケーションが必須ではない環境においても、英語を読むことを好んできた。それは、英語で書かれたビジネス文献の中に、僕が、日本でビジネスを行う時の、究極の鍵が隠されているという信念があったからだ。
ソフトバンクの孫さんがタイムマシン経営と名付けた、アメリカの現在は10年後の日本だという感覚である。
要するに、パックスアメリカーナの中で、英語の実用性は比類のないものであり、英語を解するように努力するということを実学と呼んで、さほどはばかることのない環境が、仕事人として、僕が物心ついたあたりから、存在していたのである。
高度成長期に、もっとも精力に満ちた人生の時期を過ごしたということは、言い換えれば、パックスアメリカーナの爛熟期を生きたということなのだろう。
しかしひいき目に見ても、英語というものの優位性が揺らいできたという事実からもはや目をつぶることはできない。
自分の活動量の低下という個別要素はとりあえず置いておいたとしても、実際、80年代や90年代のような、刺激のある知を、英文を読む中で見つける確率は低くなってきている。
最近は、海外で、日本のことがどう語られているかという、業病ともいうべき「日本人」的興味で、英語圏のメディアを眺めている日が多いことに若干ウンザリする。
そろそろ、英語圏の人間が自分たちをどう見ているかなどということを気にしても、さほど、自分たちの人生に良い影響を及ぼすものではないということが明らかになっているからだ。
その意味で、実学としての英語の旬は、世界的にも、個人的にも終わりつつあるのだ。
アメリカの覇権的役割の終わりが、実学としての英語の不可謬性の終わりになっていくという、内田樹さんの今回のコラムの結論は、僕の個人的実感にもしっかりと響いてくるものだった。
『英語教育は有用か。簡単そうだが、これも即答することはむずかしい。外国語教育の有用性もまた歴史的条件の関数だからである。
現在、英語教育が有用であるのは過去2世紀以上にわたって英米という英語話者の国が世界の覇権国家だったからである。それ以外の理由はない。現代の世界で生き延びる上で重要かつ有用なテクストの多くが英語で書かれているのは事実だが、それは英語圏に例外的に優秀な人々が生まれたからではなく、英語が覇権国家の言語だからである。』
中国、アラビア、ドイツ、ロシア、トルコ。どこが覇権国家になるかで、多くの人々は軽々と、それまでのリンガフランカ(国際共通語)の英語を、弊履のように打ち捨てるだろうと。
そして、日本人の行った過去の「プラグマティック」な判断として悔いても悔やみきれないものとしての漢文運用力の放棄を指摘する点には、思わずパシリとヒザを叩いてしまった。
『漢文運用能力はとりわけ近代以降にその威力を発揮した。中江兆民はルソーの『民約論』を日本語訳すると同時に漢訳もした。だから、多くの中国人知識人は兆民を介してフランスの啓蒙思想に触れることができた。樽井藤吉は日本と朝鮮の対等合併を説いた『大東合邦論』を漢語で書いたが、それは彼が日本・朝鮮二国のみならず広く東アジア全域の読者を想定していたからである。宮﨑滔天も北一輝も内田良平もかの「アジア主義者」たちは、中国・朝鮮の政治闘争に直接コミットしていったが、おそらく彼らの多くはオーラル・コミュニケーションではなく「筆談」によってそれぞれの国での組織や運動にかかわったはずである。こういう姿勢のことをこそ私は「グローバル」と呼びたいと思う。
近代まで漢文は東アジア地域限定・知識人限定の「リンガフランカ」であった。それを最初に棄てたのは日本人である。こつこつ国際共通語を学ぶよりも、占領地人民に日本語を勉強させるほうがコミュニケーション上効率的だと考えた「知恵者」が出てきたせいである。自国語の使用を占領地住民に強要するのは世界中どこの国でもしていることだから日本だけを責めることはできないが、いずれにせよ自国語を他者に押し付けることの利便性を優先させたことによって、それまで東アジア全域のコミュニケーション・ツールであった漢文はその地位を失った。日本人は自分の手で、有史以来変わることなく「有用」であった学問を自らの手で「無用」なものに変えてしまったのである。
千年以上にわたって「有用」とされた学問がいくつかの歴史的条件(そのうちいくつかはイデオロギー的な)によって、短期間のうちにその有用性を失った好個の適例として私は「漢文の無用化」を挙げたいと思う。』
内田さんのコラムの論旨は、役に立つ学問とは何か、すなわち実学とは何かということにあり、英語は、彼が論旨を進めていく上での一例に過ぎない。大学が落ち目の文科省に脅されて、落ち目のリンガフランカである英語教育をゴリ押しする様は、大手百貨店が、爆買いという不確実性に経営リスクをかけて、ものの見事に短期間で裏切られるのを目撃するのと同質な馬鹿馬鹿しさというか、哀切さを感ずることを禁じ得ない。
英語の実学性によって、これまで食べてきた人間としては、一抹の寂寥感を感じはするのだが、その半面、若干の解放感が自分の心の中にあるのを見つけて驚くのである。
英語でのコミュニケーションとは、結局は、日本人である自分のことを、そのままに、伝えようと努力する営為というよりは、英語圏の人間の理解できるストックフレーズという鋳型の中に自分の行動を押し込んでいくプロセスだったからである。
その意味で、楽しい、活発なコミュニケーションは、裏を返せば、本来の(そんなものがあるとしてだが)素の自分を押し入れに仕舞い込むようなことだったからである。
まだしばらくは、それなりに働こうとは思っている。若者ならば、次のリンガフランカへの投資を始めているだろう。中国語、ドイツ語、思いきり投機的にペルシア語。さまざまな可能性がある。
人生の終盤に入りつつある自分としては、実学としての外国語にはあまり興味がない。仕事まわりでは、リンガフランカとしての英語の残りかすでももらいながら、凌ぐことにしよう。
次に言語を勉強するならば、それはとりもなおさず、仕事人ではなく、素の自分が、知りたいと思うものを探す旅にしたい。
それが日本語ならば、どんどん日本の古い時代にさかのぼるもいい。
それが外国語ならば、その言語の奥底に、長い文明の繋がりを見つけられる言語にしたい。そしてその言語を習得して、じっくりと人生を話し合えそうな人々がいそうな外国語を選びたいと思った。
ということで、最近、僕は、イタリア語の勉強を始めた。仕事ではなく、人生の喜怒哀楽をたっぷりと味わうことができる言語という勝手な期待に基づいて。
欧米人ならば、アメリカ人、イギリス人、ドイツ人じゃなくて、イタリア人となら、雑談しながら、楽しく飲み明かせるような気がするからだ。